社会脳仮説とタブーと認知考古学
「我思う、故に汝あり」
さても人の間と書いて「人間」と表現するのは日本だけ?中国もそう?
言い得て妙。
これが西洋では、「個人」とか「自由意志」とかのわけわかんない強迫観念が幅をきかせているおかげでいまさらのように「人類には 社会的知能が!」となっていたりするのかな。
同胞。
人間の天敵は人間。
人間の最良の伴侶も人間。
人間は脳がむやみに発達している。
脳神経は他の臓器に比してやたらカロリーを喰う難物。
脳神経が担う情報処理が、そのカロリー消費という負担をペイして余りある貢献を生存・繁殖に与えてくれるならば、脳神経は発達しえる。
情報処理などしなくても生きていけるのであれば、カロリーの無駄づかいなんてやってられない、脳神経は不要。ホヤなんか成体になると神経系は萎縮消滅しちゃうし(幼体の移動のときのみ使う神経)。
人間は
・集団生活
・集団生活の中でうまくやるには仲間の動向を
把握できるほうがうまくたちまわれる
・仲間の情報を覚えるには脳の情報処理能力があると便利
・情報処理能力は脳が大きい方が高い
(ただし一概には言えない:頭大きくても知能低い人は
いるし、あくまで超平均しての話)
・骨盤サイズの都合である程度以上の頭部サイズの子は
出産できない、人間は難産が多い
・デカ脳になるには生まれたあとで頭部が成長するしかない
・未熟な脳で生まれるため、人間の幼体は
世話されないと生きていけない期間がやたら長い
・幼体の世話は集団でしたほうが有利
・集団で育児をすると育児方法含め生存の知恵も伝授できる
・集団育児>頭部発達>情報蓄積>集団生活>集団育児……
情報蓄積ができるほどの脳になったといっても、宇宙のすべての事象を処理できるわけではない。そんな脳は生存上不要、というか、そんな脳を持っていたら速攻で栄養失調であの世を見に行くはめになる。
結局生き物の脳は「生存に有利な程度の情報処理ができて生体的に負担ではないサイズ」の範囲の脳でしかないわけで、人間いくら頭が良かろうと、理解を超えた事象は「形式」やら「単純化」やら「カテゴリー分け」やらをほどこされておざなりな処理をされる。
タブーや慣習、習俗は、必要な情報を単純に刷り込んだり伝達したりするのに便利な形式なのでしょう。
正確な「なぜ」はさておき「とにかくそれを守ると存続しやすい」、そんな ミームと我々の性向の共進化。
団結性向。差別。忌避。 ネポティズム。信仰。服従。威圧。見栄張り。

タブーの進化と淘汰については
「十戒の生物学」ヴィックラー著 平凡社
がオススメ。絶版らしいので図書館などにあればどうぞ。
タブーの社会的機能については↓がオススメ。
「日本の憑きもの:社会人類学的考察」 吉田禎吾著 中公新書299 中央公論新社 1999年(初版1972)
脳力の進化発達と集団生活の関係については↓がオススメ。
「ことばの起源:猿の毛づくろい、人のゴシップ」 ロビン・ダンバー著 青土社 1998(原著1996)
儀式や宗教が人類史上いつ生じてきたのか、これは人類の情報処理能力がどのくらい発達してきたかを知るのに必要な手がかり。このあたりの検証を中心とする認知考古学という分野も台頭中。
認知考古学については↓に詳細。
「認知考古学とは何か」 松本直子編 青木書店 2003/12
きょうびの我々はふだんの生活の中、人間相互に授受する情報の中にどっぷりで暮らしているので、なかなかその状態を「客観的に見る」のは難しいだろう。
「心の理論」も「我思う、故に汝あり」な感じだ。
相手の意図と状況の展開を、何重に予測できるか、という脳知能の考え方。
そのような、他者の心を推察する脳力は、いつ人類に生じてきたのか。
そのような脳力が、人間以外にも適用流用されてアニミズム(つくもがみ:変換で字が出ない(;_;))や神様やオサキや霊魂にも、さらには憑依霊やら霊障やらにもなりうるわけで。
へぇボタン:へぇ〜
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コメント
人の間と書いて、人間。通常、人間をヒトではなく、人間と呼ぶのは「人の間」を強く認識してるからなんでしょうかね。
私は、民俗的資源管理の研究をしていまして、地域性を有した資源管理の方法として注目しています。アニミズムや自然崇拝も、自然環境と持続可能な形での関係性を結ぶことによって有益な自然資源を管理する意味合いがあったと考えているのですか、それが、どのように伝達されたのか、であるとか何故、抑止力足り得たのか、ということが目下の疑問でもあります。ミームは大変、興味深いです。
私としては禁制は「なぜ」には答えるが「どのようにして」には答えないと考えています。「なぜ、○○してはいけないか」「バチがあたるから」といったように。
興味深い示唆を頂き、感謝しています。
投稿 joker | 2004.03.13 00:23