偏見というまなざし
「偏見というまなざし
近代日本の感性」
坪井秀人編著
青弓社 2001
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●第8章 感覚の抑圧と近代主義 〜正高信男
障がい者の持つ感覚能力は健常者の五感より劣っているとみなすのは不当な偏見である旨を指摘する。
しいては、高齢者社会の到来により障がい者のほうが多数になる状況を見越し、視点の転換を促す。
痴呆が進むと芸術の才能が開花することがある
言語能力は表現のジャマをしているのかもしれない
2003/05 ★ EurekAlert Artist's work evolves despite dementia
正高さんは「科学をまとった呪の作成」(意味操作)がお好きだ。
そういえば 『生物の科学 遺伝』 2004年5月号【特集 学習・教育と脳科学/小泉英明 企画】 に一本寄稿なさっている。 「ことばの習得と脳機能,そして学習障害」 正高信男 寄稿者はほかに 真鍋俊也 桃井真里子 澤口俊之 瀬川昌也 定藤規弘 仁木和久 三池輝久 川島隆太 … と興味津々。 |
●第2章 明治末、超感覚を定位する 催眠術・千里眼・科学 〜一柳廣孝
性欲もヒステリーも超感覚も、変態や異常ではなく、日常の中で感覚や感性を方向付ける力の一つとして機能していた。
ウェブ上には考察の深浅はともかく顛末情報はいろいろある: 御船千鶴子 長尾郁子
●第9章 「障害者」差別に関する断想 〜市野川容孝
E.ゴフマンの 儀礼的無関心 civil indifference(礼儀正しい無関心)
無礼な注目 incivil attention
そして筆者の造語としての「作為的無関心」。
…「儀礼的無関心」は、ネット上では日常の対人行動や偏見の考察についてではなく、もっぱらウェブ閲覧者行動の自己正当化な文脈でばかり沙汰されているのかな。
●第6章 近代的視線と身体の発見 〜佐藤(佐久間)りか
↑これ
河田明久『日本人の肉体と「正しい身体」』
(所収: 青土社「現代思想」 2002/07 vol.30-9 特集「戦争とメディア」)
を思い出して面白かった。併読お勧め。
「写真」や「西洋画」が到来する以前の日本における人体認識が西洋のそれとはどのように異なっていたか、加えて「裸体」に対する認識の違いの解釈に
ゴフマンの「礼儀正しい不注意」
を挙げる。
河田氏の論では、西洋画で描かれる日本人の体が、当初”西洋化していた”旨の指摘がなされている。
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