埋もれた楽器に謎たくさん
「埋もれた楽器 音楽考古学の現場から」 笠原潔著 春秋社 2004/01 [ Amazon ] [bk1] |
面白いっ。

しょっぱな「土鈴(どれい)」の話から始まるんだけど、これがまたツカミにグー。
鈴口(すずくち=開口部)がない。
密閉型。
ほとんど音なんかしない。
でも「土鈴」。
空洞の素焼きの中に丸い何かがいくつか(9個だったり十数個だったり)入っていると。
振っても耳元でかすかにシャカシャカと音がするていど。
他人に音を聞かせるという目的とは縁のない楽器ではないかとの旨の推察がいいなぁ。
石笛(いわぶえ)の話もビンビン。
ほかの楽器とは異なって、石笛の音には強烈な高周波(耳に聞こえない超音波)が含まれるとのこと。
この高周波、長時間聞いていると脳にクルらしい。
意識混濁や幻覚、「憑依的気分」を招くと。
日本の神社で古来神おろしの儀式に石笛を使っている例がある→入神状態を作るための神器としての石笛→石笛にまつわるタブーあれこれ(「夜笛を吹くと蛇が出る」までも含まれうる)。
同じく高周波を出す笛として、死者よばいに用いられる「骨の笛」も例に挙がる。
で、渡来した中国のまろい音の音階楽器が、日本ではウケずに廃れ、同じ渡来楽器でも主に高音なものが生き残ったのは、「楽器のコンセプトそのものが両国で違っていたからではないか」と示唆する。
中国的な「かなでる」ための道具 vs 儀式用の「特定の音を出す道具」。
神託を中心に据えたシャーマニックな卑弥呼の石笛文化があったゆえに、渡来楽器も高音でなければ「使い物にはならなかった」という可能性。
中国の研究者にそういう仮説を話しても、「音階楽器どころか土鈴に石笛ですか」と哀れみを持って遇してくれたとのこと。中国って一部で「日本の文化は中国文化の模倣以下」と見なしてくれてたりするんだよね。あちらさんには「異なる文化」という視点は頭にはなく「レベルに達していない文化」と見てくださったらしい。
中国といえば。
魏志倭人伝に「倭人はみなハダシ」との旨記してあったのは、日本人が裸足だったという意味ではなく、単に「沓(くつ)をはいていない」という意味だったのではないかという指摘も。(p.164)
ワラジやゲタの先祖のようなものは出土しているので沓(くつ)以外のものは当時の日本人ははいていた可能性があると。
p.164-165
今後ジオラマで邪馬台国時代の日本の風景を再現する場合には、当時の倭人たちにせめてワラジやこうした「履き物」を履かせてやって欲しい、と思う。
ほか、縄文時代からほとんど変化せず脈々と近代まで用いられてきた「鹿笛(ししぶえ)」「ウキ(キジ猟に用いる笛)」。
土鈴は丸型と人型で用途が異なっていたらしいこと。
土鈴の鈴口(すずくち=開口部)は渡来の金属鈴に製法上生じる鈴口を模したもので、本来は鈴口はなかったこと。
さまざまな出土品、どれが楽器でどれがそうでなくて本来は何に用いられたものか謎に包まれた品がたっくさんあること。
平安時代は弦楽器をのきなみ「琴」と読んでいたので「琵琶の琴」「琴の琴」「箏の琴」と呼んでたりしたこと。
琴は「龍」であること。弥生時代に登場した琴は日本の独創っぽいこと。
琴ではない「琴板」という打楽器があったらしいこと。板を叩いて神寄せをする風習があったらしいこと。
三味線が、古今ポピュラーな楽器なのに全然出土しないことから「出土しない物に関する考古学」も考慮してみてもいいだろうと示唆。
「竹」製品はただでさえ残りにくい木製品よりもはるかに土中で残りにくい上、発掘しても腐り落ちやすく保存がめちゃめちゃ難しいとのこと。竹製品が出土しても、どんな貴重な品でもうまく保存できずに見るも無惨な状態に陥ってしまうらしい。
誰か、竹製品の保存方法を開発してあげて下さい。
終章は 認知考古学で締めてある。
人類の進化とその能力考察。
とにかくこの本の中にはさまざまな「楽器」の紹介がもりだくさん。
惜しむらくは、それら楽器の画像が十分な数収録されていないこと。
文章の説明だけではモノを想像しきれない。
もっともっと実物の図版を入れておいて欲しかった。
けっこう堪能できた一冊。
オススメ。

つづき; 2005/04 『埋もれた楽器で神を呼べ』
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