生き人形を巡る妄想と寓話 Living Dolls
ロボット。
生きているかのごときの存在でありながら、「命を持ちはしない」とされる、生死両義的な存在。
ロボット、アンドロイド、自動人形。
人の姿に「命」を見てしまうのは、古今東西ヒトの性(さが)か。
人間の生死を最も左右しうる重要な要素がほかならぬ同胞の「人間」であるがゆえに、人間は人型をしたものに過剰に反応するようになっているのか。
「生きている人形」
ゲイビー・ウッド著
青土社 2003/12
原書の情報とその書評 (Living Dolls/2002)
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主題は、自動からくり(と、からくりもどき)。
が、そんじょそこらの「ロボット史」「からくり人形今昔」な書物とは趣が異なる。
先達たちが生み出したからくりのみごとさもさることながら、それらからくりに人々がどう反応したのか、どういう意図と欲望と妄想がまつわり渦巻いたか、それら想念に翻弄されつつ、からくりの傑作たちとその制作者はどのような末路をたどっていったか。
この本の主役は自動からくりでもあり、それをこしらえ遇した人々の想念でもある、そんな一種女流SFファビュレーション的な香りを強く感じさせてくれる興趣深き一冊。
デカルトのからくり娘寓話、そしてラ=メトリーの「人間機械論」から始まり、
18世紀の天才ヴォカンソンによる
フルートを吹く人形
食事をし、羽ばたき、排泄をするアヒル
人間を機械に擬することは許されるのか
ケンペレンのチェスロボット(18世紀にすでにAIチェスが!)
からくりだとは許容できなかったエドガー・アラン・ポー
エジソンによる自動おしゃべり人形大量生産計画
まるでたまごっちのように「生き物」と「機械」を
混同する人が続出、当のエジソンまでもが発明家どころか
まるで錬金術&ホムンクルスメーカーみたいなありさまで…
映画創世記のトリックとからくりと精神分析
そして終章は一転、「生きてからくりを演じた人々」の顛末にさいてある。
サーカスで機械式人形を演じた小人症の家族たち。フリークス。そして彼らの中、存命している一人へのインタビュー。
人型をしたもの、命あるがごときものへの、想念・妄念の押し付け。
そら恐ろしいものを感じる。

17世紀のデカルトから語られはじめたこの本は、エピローグで21世紀の東京に到る。
最新型の「フルート演奏ロボット」の制作者は、これが非常に制作困難なしろものであると語り、18世紀の昔にフルートを吹く人形が実在しえたかどうかを疑う。
訳文はたおやかにしなやか。こなれていてとても読みやすい。
人型ロボットの開発。
なぜ人間の形なのか、人間が暮らす環境は人間の形をしたもの(健常者)が挙動するのに適したように作られているので、人間型のロボットをこしらえれば便利であろうと、そういう発想で人間型が取り沙汰されるのだと耳にする。
でもロボットは人型(もしくは人体の一部をもした形状)をしていて初めて「ロボットっぽい」、それ以外は「機械だ」と感じるのも事実。
ロボット好きな工学系さんより、人心の妙に惹かれる思索家にお勧めしたい一冊。
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