日本人の脳死観 議員の頭の弱さを読む
新書
「日本人の脳死観
臨調答申を読む」
佐々木廸郎著
中央公論事業出版 2004/02
[ Amazon ] [bk1]

意外と面白い。
恵佑会病院(札幌)の顧問という肩書きを持つ著者が、現場感覚を元にした医者からの「脳死問題」への異議申し立てを熱く熱く語っている。
脳死移植が法的に可能になったあと、さほど事例が増えないのはなぜか。
法が成立するまでの審議があまりにあわただしく、しかも検討に参与したメンバーが「医療倫理」を云々するには不適切な人選、その結果、市井の感覚から大幅に遊離した迷惑かつおそまつな制度が成立してしまったと。
第一章では日本の市井の人々がどのような死生観や心身観を持ち、脳死をどうみなしているかを考察する。が、この考察、現場感覚と著者本人の実感に根ざしてはいるのだろうけれど、推察に近い論展開で、裏付けはどうなのかな、と読んでいてやや困惑。
第二〜四章では脳死臨調答申の内容を検討し、いかに考察が浅く偏向しテキトーなものになってしまっているかを、しつこくしつこく突っ込む。
p.101
答申の審議内容は、論旨に一貫性を欠いたままで、信仰心のなさ、道徳観のなさ、倫理観のなさ、遵法心の誤解など、内容的にみて卓見に乏しく、しかもそれらが平常心で審議された感を抱かせない点が多いのは、機を別に糾弾したくなるところではあるが、火急の要望は、すべての国民が、立法の都度の委員会記録を、すべての委員の発言と提出した資料を含めて、容易に知ることができるような制度を早急に確立することを望みたくなるのである。
第五章はアメリカの大統領委員会と、日本の脳死臨調の比較。
日本は審議期間不十分、
p.159
どこで脳死や人の死や臓器移植の問題と深く関わり深い見識を持つに到ったか、理解に苦しむ
ようなメンバーが含まれ、不適切な人選であったと。
いや、それよりなにより、この本スゴイ!と思ったのは第7章。
法案が衆院を通過した翌日に各大手新聞に掲載された、いろいろな議員発言を列挙して、それに対して逐一ツッコミ評価をあげつらう。
これがまた面白くて。
「意見の多くは日常的にわれわれが持っているのと共通した心理傾向を示していると見えるので、われわれ自身を物語るモデルとしてその言動を活用させてもら」うというこの着眼点がグー。第一章で見えなかった”裏付け”はこれで充分補填できるのか!と感服しばし。
そんでもって、あげつらわれる議員発言が、これがまたどーしよーもないものから「すごい、卓見!」というものまで、みごとにピンキリ。
みなさーん、このピンキリな人たちが政治やってるんですよー。
みなさんの代表がこの人たちなんですよ、あなたが選んだんですよぉ。

例えば「みんなが言うからやっているけどわかりやすい案のほうが賛成しやすいな」という旨の発言をしている元首相の自民党M議員。
例えば「法律で脳死を人の死とするのは越権。臓器移植による救命と、人間の死は、いっしょには語れない話。大脳の停止を死ととらえるのは日本社会にはなじまない」との旨みごとな見識を見せる元首相の自民党N議員。この人はすごいと思った。たぶん定年引退でひとしきりもめたあのN氏だと思うけれど。
…M議員って …ホントなんで当選してるんだろう、なんで首相になれたんだろう。誰が票入れてるんだ?
M議員だけじゃない、ろくたらものごとを考えていないような何の見識を見込まれて当選したんだかわかんないような迷答をしている議員さんがぞろぞろ混じっている、計27人ぶんの発言を列挙。
みものです。
この本の中では大元の「脳死」という語のオカシサもしっかり指摘されている。
「死」は本来、命の終わりを指す語。
「脳死」という語が指すものの中身は実際は「死」ではなく、あくまで「脳が壊れて生きている」状態を、その生きている状態を、「脳死」と名づけただけの造語。
ともあれ、今の日本ではこのような展開とこのような人達によって、あなたの生死が決められるのです。
みものです。
見て、自分の死が他人によって決められる日が来ることを、覚悟すべし。

日本人の脳死観については、
日本人が意識せずに抱えている「死者との語らい」信仰・習俗を考察した
波平恵美子著 「病と死の文化 現代医療の人類学」 朝日選書 朝日新聞社
波平恵美子著 「日本人の死のかたち 伝統儀礼から靖国まで」 朝日選書 朝日新聞社
は踏んでおきたい。
へぇボタン:へぇ〜
と押してみるもよし情報庫: 倫理
| 固定リンク







コメント