ゲームは「テレビやマンガと同じ」?
ゲームを擁護する人の意見に
「ゲームはテレビやマンガと同じだから
ゲームだけを悪者にするのはオカシイ」
というものがよく見られます。
…ゲームはほんとに「テレビやマンガと同じ」でしょうか?
まず、テレビ・書籍・漫画・映画は、「情報が入ってくるだけ」のもの。
受け取る側の心理フィルター(自分の現実との差:認知的不協和 )で、入ってくる情報は取捨選択され、わりと浄化される。
でも、ゲームはそれらとは大きく違う。
いちいちプレイヤーは「判断をし行動を選択する」ことが要求される。
行動選択によって報酬もあれば罰もある。
これは…
「訓練」ですよね?
ゲーセン(アーケードゲーム)とかでオープンに対戦しているぶんには、まだ周囲の現実の人間からのリアクションがあるからいい。
が、個室に閉じこもって一人でRPGやネットゲームに興じていた場合、これは「スキナー・ボックス」に近くないでしょうか。
正しいレバーを押せばピーナッツが出てくる。
行動心理学でいうところの 「行動矯正」。
『刻命館』(よりによってプレイステーションゲームの殿堂入り)では「プレイヤーは悪魔の手先として善人をばしばし大量殺戮しないとゲームが進まない:誉めてもらえない」。
もろ行動矯正状態。
さて、他者とのつきあいが少ない子が自室でもくもくとこのゲームにはまっていたらどうなるんでしょう、とか…。
バーチャルな訓練を受けた人間(ゲームプレイヤー)には、認知的不協和 から逃れようとする防衛反応が、テレビ・書籍・漫画・映画などとは逆の方向、ゲームの世界観のほうに都合がいいように働きうる。

「殺すと救われる」という直感を与えるゲームの世界観。
「殺人や略奪で問題が解決する」
「ウラワザ(悪事)をうまくやってのければ賛美される」
「少年法の穴をねらって攻略、法律の本は攻略本」
「”悪人”はいるはず、やっつけていい」
「失敗しても罰は軽いし被害者(ザコキャラ)は何も言わないし」
「終身雇用はイヤ、ジョブはいつでも変えられるほうがいい」
「リセットが効かない世界は不便」。
恋愛シミュレーションなら「ここでこう(ゲームのように)女は反応するはず」「ここでこう(ゲームのように)反応する女が現実にもいるはず」。
操縦シミュレーションなら「現実でも自分はスゴウデのはず」…。
「やれる・やりたい、けどやってはいけない」と伝統的な規範やモラルでは禁止されていた 欲望のままの反社会的行動が、ゲーム(シミュレーション)の中でなら自由に行える、それゆえ、欲望のままに行動できること(夢の実現)がゲームの売りになる。
思春期に刷り込まれた世界観は、認知枠にぬぐいがたい影響をのちのちまでおよぼす。
欲望のままの行動を売りにしたゲームに親しんで「行動矯正」されることにより、欲望のままに行動することを選択肢として抱いた人間が育つケース。
これらの点を看過したまま単純にゲームの影響力を”テレビや漫画と同じ”とみなしていてはいけない。

この項は、ゲーム制作業に従事する人間が記した前世紀の文章を、備忘録として再収録したものです
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