倫理とゲーム理論と災害心理+人食い
スルメ倫理な本を ご紹介ありがとうございました。
まだまだ噛めば味出てくると思うけれど、真っ向考えながら読むと頁数厚くもないのにかなりの日数食われそうなので、今のところさらっと。
「倫理とは何か 猫のアインジヒトの挑戦」
永井均著
産業図書 2003/02
[ Amazon ] [bk1]
気にはなっていたけれど、市内の図書館に入荷しなかったので、ほかの本を優先してほったらかしていた一冊。
イイ。
いろんな人に読ませてみたいね。誰が完読するか、どの段階でほうりだすか、も含めて。
私的には、倫理ものの中でもこの本はかなりイイ線行ってるんじゃないかと思う。
(と言う私は倫理学をろくに知らぬ門外漢だが)
囚人のジレンマを考察の種に採り上げかなり重用している、進化心理学の自己言及パラドクスに近い覚悟もしくは透徹観がある。
倫理入門書と言うよりは倫理哲学指南かな。
このあたり、進化心理学および関連分野の人間はどう受け取るのか、そこを見てみたい。また、この本の著者がどの程度さらなる ゲーム理論をふまえているのか、進化心理学をどう見るかどう見抜くのか、も伺ってみたい。 ★
相互の分野を参照すればさらに骨太な透徹した立場に踏み込めると思う。踏み込めた人の姿を見たい。
書籍としては、素人にも取っつきやすい気の効いた開陳手法・構成企画、紙質含めてニートでたおやかな装丁デザイン、久々に「しばらく書架に置いておこうか」と思えた一冊。
※ 永井均・小泉義之著「なぜ人を殺してはいけないのか?」河出書房新社 1998
のほうは、昔、図書館でちらっと見て「つまらない/不要」というチェックマークをつけて済ませてた。
これはA Fledgling Child Psychiatrist さんのほうでもなんかそんな評価になってるなぁ。

ところで。
「猫のアインジヒトの挑戦」(副題のほうが好きなので失礼)、冒頭に残念な伝言ゲームが一個載っていて気になった。
p.13
エンゲルハートの『バイオエシックスの基礎付け』(朝日出版社)という本によれば、イク族という種族では「善(good)」にあたる言葉は基本的に「満腹」とか「食糧の個人所有」を意味するらしいよ。〜云々〜
この股書き聞き書きになっているイク族の話の原典は、先日紹介した 「ブリンジ・ヌガグ」。
上の記述では下手をすると「そういう伝統文化の種族がある」と読み手に思いこまれかねない。
下記の顛末参照。
「呪医の末裔 東アフリカ・オデニョ一族の二十世紀」 松田素二著 講談社 2003/12
p.43-44
かつてアメリカの文化人類学者コリン・ターンブルは、ウガンダ北東部の山岳民イクを調査したとき、以前には礼儀正しく他者への細やかな心配りを忘れなかったイクの人々が、度重なる旱魃/かんばつ/と飢餓、そして他民族からの襲撃の結果、社会そのものが存続の危機に陥ってしまうと、その美風を捨て去り、エゴイズムを剥/む/き出しにして生きていく様子を、『山の民』(邦題は『ブリンジ・ヌガグ - 食うものをくれ』)のなかで活写したことがある。最初の調査からわずか六年の間に、この半農半牧の平和な民の道徳と倫理は消え去ったというのである。
六年。
言葉の意味というものはひどく簡単に変化してしまうもの。
我々とて日々流行語や語彙変化にさらされしょっちゅう「これまでの意味」を捨て去っている。(マドンナってぇ芸名が「坊ちゃん」のマドンナ観をぶちこわしてくれたしさぁ)
イク族の例が示すのは、災害に虐げられたときに生じるドラスティックな語用変化であって、災害受難前はかくのごとき冷酷な「good」は用いていなかった可能性があるわけで。
そんなこんなの、些細な残念。

災害と言えば。
下記の本も読了。
新書
「人はなぜ逃げおくれるのか 災害の心理学」
広瀬弘忠著
集英社新書
集英社 700円 2004/01
[ Amazon ] [bk1]
災害が人に与える長期的影響について言及があり、上記のブリンジ・ヌガグ考察の一助になりそう。
ほか、被災直後の被災者心理、被災後のPTSD、警報がうまく効果を現さないケースの分析(安心させようと状況を軽めに伝えると悲劇を招きかねない)、パニック心理(人間はめったにパニックは起こさないので、警報は加減せず予測を正しくすみやかに伝えたほうが被害を軽減できるのだそうだ)、被害にあった人を「被災者」としてではなく「サバイバー」として見る視点の効用、などいろいろ必要な情報がコンパクトによくまとめられている。
どちらかというと、新書版の書籍を買いそうな読者層:被災者や個人のためのアドバイスというよりは、ハードカバーを好みそうな行政、施策側、防災側、警報発信側の人達に重宝される感じの内容構成。
で。
この本、「ダナー隊」の紹介に紙数をさいてある。p.91〜
日本では普通は「ドナー隊(ドナー・パーティ)」というらしい。
アメリカ開拓時代、ドナー氏が率いる一隊が冬山で遭難、半数が死亡。
災害中、単身者の死亡率が高いことを強調する例として使っているのだが、なぜかこの本の中では人食いについては触れられていない。
食人行為を行って生き延びたというドナー隊の悲惨な顛末はいわゆる巷説なのかな、そのあたりはひととおり 「彼らは靴を食べなかった」@マジソンズ博覧会で読める。
そんなこんなのドナー隊、先週検証記事が流れていた。
ドナー・パーティは本当に人間を食べたのか
越冬地の痕跡と思われる場所から発掘された品々
人骨に「ゆでられた跡」があるか、DNA検査で血縁が示されるか
2004/07 EurekAlert Dig unearths artifacts that may resolve Donner Party questions
研究チームは今後ドナー隊に関する本を出版する方向で動いているとのこと、食人行為の有無について決着をつけるらしい。

「土壇場における人間の研究 ニューギニア闇の戦跡」
佐藤清彦著
芙蓉書房出版 2003/10
[ Amazon ] [bk1]
食糧を含む補給路を断たれ、何万人もの日本兵が玉砕の傍ら飢え死にし、殺しあい、人肉を食らいあった。
土壇場に追い込まれれば、生き残る人間はこうなるんだよ。
「東部ニューギニア戦線」 尾川正二著 光人社(旧版は戦誌刊行会から)
と合わせて読むともっとすごくなる。
土壇場における人間の研究:p.40
飢えた者に、仏の慈悲やクリストの愛を説いても、無駄なことである。一握りの食物こそが、慈悲であり愛なのである。
同:p.50
軍紀どころか、道徳も人間性もないようなこのような状態に対し、軍も手をこまねいていたわけではない。その表現はともかく、幾度か人肉食禁止、厳重処罰の通達を出している。
これだろ。これが「ブリンジ・ヌガグ」だろ。日本版の。
こういう土壇場を描いた例:ブリンジ・ヌガグをもってして”文化”呼ばわりなさってくれた方々は、ぜひこれらのニューギニア戦記を熟読してくれ。ほかにもドナー隊やスコット隊など半数も生き残れないような過酷な状況に追い込まれた人間たちが安全ボケの我々とはかけ離れた世界に陥るそういう記録、これに限らず探せばたくさん見つかるはずだ。
これらを読んでも”文化”呼ばわりできるか。
イク族に対してものすごい失礼な断定と物言いをしていなかったか。
要再考。
へぇボタン:へぇ〜
と押してみるもよし情報庫: 食人 進化心理学 (生命)倫理 囚人のジレンマ・ゲーム理論
| 固定リンク
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/863/1020325
この記事へのトラックバック一覧です: 倫理とゲーム理論と災害心理+人食い:










コメント
オススメした本、気に入っていただけたようで良かったです。どうもです。
うーん、おもろいですね。なんて言ってられない事例ですが。ほんとに善という概念がおかしい文化があるのかと思ってたら・・・道徳自体が崩壊している文化だとは・・・
はじめは「良いこと=満腹」だった文化が次第に語用変化を起こして「良いこと=みんなにとって良いこと=善」になり以前の言葉遣いが隠蔽されていく、というような逆の話だったら、まさに永井さん好みの話になったんでしょうけどね。ていうか、早く平和になってそういう文化になって欲しい(まだ存続してるんでしょうか・・・)。
投稿 norahigure | 2004.07.22 01:45
norahigureさま
いや、「道徳自体が崩壊している文化」ではなく、「人間があのような極限状況におかれた場合、必然的にかくのごとき意味の使い方をするようになりうる」と考えたほうが適切でしょう。だいたい前提にしている”道徳”や”善”の定義そのものがすでに不適切かもしれないし(平和ボケの偏見がこしらえたような定義になっていないか)。
現代文明の恩恵を受けた上品なエリートさんでも、ドナー隊のような状況に「6年」置かれれば、(運よく生き残っていれば)おそらく今の我々とはかけ離れた感覚の語の用い方をし始めるはずです。
我々も、6年目のイク族になりうる。
そういう変化を「文化」と称していいかどうか、かなり抵抗は感じます。
投稿 Amasaki | 2004.07.22 09:09
雨崎様
ああ、自分でもちょっと言葉遣いが不適切かなと思っておりました。この事例の状況を文化と言ってしまうのは難がありますよね。で、まさにそのような勘違いらしきものを「イク族」で検索していてを見つけたのですが。
http://www.glocom.ac.jp/project/chijo/2004_02/2004_02_02.html
http://www2s.biglobe.ne.jp/~isaoya/enjo.htm
社会学関係のページのようなんですが、なにやら「子どもの定義は文化によって違うんだ」等の議論に使われていたり。これはどこまでわかってやっているのか気になりました。文化相対主義的な文脈で援用するような事例じゃないですよね。その部族内での共同体意識・伝統・誇り等々が成り立ってない状態ですから、女児割礼などの場合と違って文化とは言い難い。というかそれ以前の悲惨な状態なわけで。
ともあれ、『ブリンジ・ヌガク』は古本を見つけたので注文いたしました。「猫のアインジヒト」再読中には伝言ゲームに気づかなかったです。読んでみようと思います。なんか文章が下手ですみません。
投稿 norahigure | 2004.07.22 20:28
…もしかしたらこれ(イク族の事例)ってかなり「都市伝説」もしくは「誤解の塊」になって平気で世間に流通しちゃっているのかもしれませんね。
ヨソの文化と名が付きゃなんでもいいように事例として利用してしまうというイケナイ傾向、これ↓を想起します。
「呪術の現代性 - 呪術論に見る現代西洋の他者表象」土佐昌樹 寄稿
所収:『岩波講座文化人類学11:宗教の現代』岩波書店 1997年
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000107518/hbjp-22
ヨソの文化に何かの幻想を押し付けて、自分の主張の”理論づけ”に勝手な解釈で利用してしまう人たちの話です。
投稿 Amasaki | 2004.07.22 21:01