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2004.07.25

日本人の健康執着と身体観の大転換

読み手に強い視点転換を迫ってくれる、見た目に似合わず実に雄弁な一冊。(もっと押しの強い装丁のほうがいいと思うぞ)

cover
「健康ブームを読み解く」

 青弓社ライブラリー30
 野村一夫ほか著
 青弓社 2003/07
 [ Amazon ] [bk1]

 「健康」という概念がいかに皆の「盲信」の上に成り立っているかをまざまざと語ってくれている。

あなたは自分の健康を「どう気づかっていますか」。
「どうすれば健康になると思っていますか」。
「何をしているから健康なのだと考えていますか」。

 自分に良識があると考えていて、なおかつ何らかの健康法や養生を実践している人は、一度この本にあるような言説を見ておくといい。

 例えば食事法だの、運動だの、サプリだの、定期検診だの。
 それら”健康法”が、大半は 社会的構築による仮想設定を盲信することで成り立っている”儀式”もしくは”おまじない”。
 いや、「効く効かない」という話ではなく、観念上の位置として、我々が古来行ってきた心的矛盾や不安の解消方法として重宝されてきたのが儀式やおまじないなのであって、古来の方法が否定され貶められている今日では、その儀式やおまじないが占めていた ニッチに、いまどきの健康法がここぞとばかりにのさばり繁栄しているわけで。

●第一章  ●  ●  ●  ●

 民間療法が世間で栄枯盛衰変遷するありがちなパターンが記されている。
 売り口上に含まれる要素
   ・栄養学的なそれっぽさ:
     現代医学なパターンをなぞる 威光暗示
   ・健康志向をほめたたえ、健康を損なう人間を貶め「悪い」とする
   ・既存の医療システムに対する不信をあおり共感させる
   ・自然礼賛:シンプル志向、純粋礼賛、過去伝統の美化
   ・西洋医学以外のやり方で行けるのだという説得:
     道を変えれば問題が一気に解決すると思わせる暗示

 今どき主にもてはやされる健康法は、効果があるのかないのか微妙なもの、長期間やってこそ効果があるもの、あたりが主流。
 それらに、「これこれをしないと恐ろしい目に遭うぞ」「恐ろしい目に陥っている者は良いことをしなかった悪人である」という強迫暗示がくくりつけられている。(悪人よばわりされる側にはこれいい迷惑)
 これら手法自体は、特にカルト系に重宝されている宗教勧誘のパターンと酷似。結果目的に関わらず、勧誘過程は収斂し似てきてしまうといいましょうか。

 そして奨励され増幅されるリスクコミュニケーションや、自分の身体第一という個人主義。
 諦観や達観という限度があったことを見失い、「健康」という幻の青い鳥を追いかける際限のない欲望レース。健康法フーガ。
 これらは、専門家の信頼度が落ちてきていることへの反動も加わっているのではないかと指摘されている。

p.56 野村一夫
行政組織、専門家批判という側面がこの健康ブームにはあって、健康というのが批判の根拠になっています。つまりそれは、行政や組織や専門家という一つのがっちりとした社会システムに対抗する原理として、健康というもの、自分の生身の体というものが再発見されているという側面があるのではないでしょうか。

 我々が古来行ってきた心的矛盾や不安の解消方法としての儀式やおまじない、その現代バージョンであるいまどきの健康法。
 効く効かないという話ではなくて、そういう構図の中に我々がはまって居るというメタな話ね
 この人の健康言説分析はどっか別の本でも読んだことがあったんだがどこだったっけか…。

●第二章  ●  ●  ●  ●

アンカー【身体観の大転換】

 ほんの100年ほど前、我々の曾祖父さん曾祖母さんの時代ですでに、今の我々とは大きく異なる「身体の見方」をしていたという事実。劇的に変貌してしまった身体観。
 しかも。
 今の我々の身体観が正しいというわけではないという事実。
 昔の人の身体観や医療知識を貶め笑ってしまってはいないか。現代の我々もしょせん大同小異。
 タライの中の東から西に移動しただけで、タライの外に出たわけではない我々の素朴な身体観。

 身体観の激変については下記も参照。

佐藤(佐久間)りか「近代的視線と身体の発見」
(所収:「偏見というまなざし 近代日本の感性」 坪井秀人編著 青弓社 2001)
 「写真」や「西洋画」が到来する以前、日本における人体認識は、西洋のそれとは大幅に異なっていた。
 裸体の認識も、人体プロポーションも、現代の我々とはかけはなれた形で把握されていた。

河田明久『日本人の肉体と「正しい身体」』
(所収: 青土社「現代思想」 2002/07 vol.30-9 特集「戦争とメディア」
 西洋画で描かれる日本人の体が当初”西洋化し変形していた”事実の検証。

故・米津江里「近世書物に見える胎児観—女性用書物を中心に」
(所収:「怪異学の技法」 東アジア恠異学会編 臨川書店 2003/11)
 江戸時代の胎児観。初期胎児の姿は「仏具」。中期におっつけ人間の形に変身し、後期〜臨月前の胎児は頭を上にして腹の中にいる、臨月になったらいきなり頭が下になるんだよ、そんな図版本が普通に流通&流布していた。

 で、我々が今持っている身体観も、メタな視点では当時と似たようなもんだと。
 実際に腹ん中かっさばいたのを自分で実況検分したこともないのに、提示される「身体情報」を鵜呑みにし根拠にしている我々。脳とはこれで、肺とはこれで、ここには肝臓があって、と本物を実際には知らないのにメディアや教育から与えられた「知識と印象」だけで云々している我々。
 その「知識と印象」は、実物とは異なっている。そういう意味で畢竟文明開化以前と同じだと。身体観は「信仰」に近いわけで。

 その同じレベルの中、何が大きく変化したのか。
 舶来の情報が入るにつれ、世界観と倫理が変化したのだと指摘する。その変化の先鋒にいた一人が、解体新書の杉田玄白。

p.89 北澤一利
江戸時代の学者と玄白の違いはは何かというと、江戸時代の学者は時代がたてばたつほど真理からは遠ざかっていくという悲観的な歴史観を持っていたのに対し、玄白は、時間がたてばたつほど真実に近づいていくと考えるところにあります。

 過去と未来、どちらが真実に近いと考えるか。
 先人の知恵と伝統を重んじ、身のわきまえを語る儒教観。
 それに対して、先人の知恵を無知蒙昧だと否定させ、「努力すれば進歩する」という欲のエスカレートを掲げる西洋的進歩観。
 ベクトルが全く逆に取って代わったと。
 ベクトルの転換で日本はおのれの過去の知恵と蓄積をあっさり足蹴にしてしまったと。

 そしてなおかつ、その「どっちが良かったか」は視点によって異なるわけで。
 効率主義か、心の安寧を重視するか、個人主義か、他者との共有価値を優先するか。

 玄白以前と以降の、日本における解剖図の劇的変化も図示されている。
 西洋の解剖図版の悪趣味さと固定観念については、荒俣氏がいろいろ開陳していたと思う。

「バッドテイスト—悪趣味の復権のために」 荒俣宏著 集英社文庫 1998
「アラマタ図像館 (2)  解剖編」 荒俣宏編集 小学館文庫 1999

 なお、この第二章の別バージョンは、同じ著者の下記の本でも読める。

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『「健康」の日本史』

 北澤一利著
 平凡新書 2000/12
 [ Amazon ] [bk1]

 「健康」という観念がいつ発生したのか、なぜ・どう普及したのか、それ以前は人々はどう暮らしていたのか

 そのほか、日本人に「健康」という概念が刷り込まれていった過程と機序、戦前戦中の浮かされたような健康執着。
 加えて、いまどきの「おもいっきりテレビ」「回復スパスパ」「発掘あるある」「ためしてガッテン」などなどでもてはやされる、効果の定かではない暗示印象系健康法。
 伝統的な健康の知恵を貶めてしまった現代人が、その代替&穴埋めに、必然的に宗教にすがるがごとく重宝してくれる健康法のブーム。
 今、自分がどこにいるのか、少し客観的に見直してみたい人、足を地に近づけてみたい人にオススメ。

 とはいえ、サプリや健康法に執着しているようなタイプの人には、そもおのれを客観視するスキルはあまり期待できないのではあるが。


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情報庫:  社会的構築、社会構成主義 医療   科学史   民俗学


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