新書アフリカ史
アイデンティティや帰属を固定されると崩壊するものがある。
自分は何に所属しているか、自分のアイデンティティは何か。
何かを選んでもいいが、「選んだ」ことを忘れて依存しきったり同化しすぎたりすると、脆弱性が増す。流動性弾力性を忘れないほうがいい。
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『新書アフリカ史』
宮本正興・松田素二編
講談社現代新書
1997年
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自分はアフリカの歴史について何を知っているだろう。
「ブーンドックス」を見る限り、アフロアメリカンさんがたも、自国内の黒人史ならともかく、アフリカ史についてはさほどお詳しくはないようだが。
歴史って、 「マンデルブロー」みたいだな、と思う。
どこをどう拡大しても、どう縮小しても、どう切り取ってもひたすらマンデルブロー。
細部にも、大局にも宿りたまいて姿を現す歴史という物語。
世紀単位でも、時間単位でも、国単位でも、個人単位でも、物語としての歴史は紡ぎうる。
記される歴史は取捨選択の結果。
私や彼らの個人史もその捨てられる部分に入るのだろうけれど、アフリカ大陸の歴史という巨大な物語も、大半が語られず捨てられていた、注目されるどころか意図的に無視されていた。
なんせ人類発祥の地だぜ。しかもばかでかい大陸。
なんでそこの悠久の歴史が全然沙汰されないのよさ。
西洋人がこしらえたアフリカ観&アフリカ野蛮史という、ひどくねじれた絵からの脱皮独立を目指す人々。
『新書アフリカ史』 p.17・編者
これまでのような、西欧近代主導の歴史記述だけでは、地球上の全人類の過去、その達成の全体像を把握しきれないということがわかってきたのである。
酋長などいなかったのに、西洋人が支配に来てからはじめて、管理の必要性から「酋長が率いる部族」という組織形態が押し付けられたケース。
中世に遠隔貿易繁栄から大国家が生じても、貿易が衰退すると国家は解体し小集団に拡散していったケース。国家は最終目的ではない。 他者にたいして姿を現すために必要なものとして形作られるのが国家。状況によって生じる、粘菌の子実体のようなものにすぎない。
酋長も、国も組織も持たずして、自然に結束し行動できるヌエルの人々。巧みな血縁関係がコントロールする紛争と和解。
ヨーロッパ方面との奴隷交易で狩り残されたのは身体変形を習俗としている部族の人々であったという事実。これは習俗の人為淘汰と言っていいのか?
フルベの聖戦、独立した独自のイスラム、状況に応じた選択肢としての抵抗や協力。
現代に尾を引く「部族間抗争」という色眼鏡。政治問題も経済問題も、党派や主義主張ではなく単に「部族問題」として処理されてしまいがちな、西洋的偏見の落とす影。

戸籍、国籍、国境、所属、民族。
人間は、そういう杭打たれるような、一カ所に縫いつけられるようなシステムに、適応するようにはこしらえあがっていない。
一カ所に縫いつけられるようなシステムが発生したゆえに生じた悲劇、それは 「ブリンジ・ヌガグ」 や 「ブッシュマンとして生きる」「呪医の末裔」でもひとしきり。
2006/06追記:
貧困緩和のカギは移住@アフリカ
2006/06 EurekAlert Poverty in Africa: Migration can help
一つのシステムはすべてを受け入れたりすべてを許容したりするようには、なかなか行かないもの。何かを切り捨てて成り立つこと多し。切り捨てられる存在たち。
その体系で切り捨てられるのであれば、違う体系を探してさすらう、人にとって優しい世界はそれが可能であるべき。
空き地が要る、変身隠遁の余地が要る。
心の中にも、地理空間にも。
自分に適した体系を探して流れさすらう、ちょっと隣におじゃまする、なんとなれば自由に自分の所属や民族を変えることが可能であった社会群、それが可能であったアフリカ世界。
自分は今の居場所で、今のポジションで窒息しそうになってはいないか?
他人のためにこしらえた”自分像”の中で、金縛りにあってはいないか?
ふと考えるとこれはゲームのリセットやジョブチェンジとどう違うんだろう… 旧世界のほうがゲーム観を待たずしてそういう体系を持っていた? いや、リセットが効かなくなった現実の中で、心が求めるリセットを単に記号的に体現したのがゲーム内のリセットというシステムだったのか?
いじめの構造も、クラスや会社という、所属の枠に人間性質が呼応して生み出されるもの。
居場所が流動的であれば、固定されていなければ、発生しないという。
『新書アフリカ史』 p.556 松田素二
アフリカの柔軟で多元的なアイデンティティを評して、「浮遊するアイデンティティ」と呼んだ人類学者がいたが、単一のアイデンティティを強要する国家や民族という集団どうしの殺戮や対立を忌避するためには、浮遊する柔軟なアイデンティティが必要となるだろう。アフリカ社会はこうした可能性を秘めているのである。
多民族の平和な共生は、民族主義や国家国境が踏みにじってくれる例があまたある。
学ぶことはたくさんある。考えることもたくさんある。
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