心理学化する社会
タフかつやたら雄弁な本を読んでしまった。
この本を云々するには周辺の言説をひととおり見てからのほうがいいのだろうけれど、食指の動かない分野も含まれているし、気になっていた「カウンセリング・幻想と現実」は図書館入荷せずで後回しのままに今まで来ているし…。
「心理学化する社会
なぜ、トラウマと癒しが求められるのか」斎藤環著
PHPエディターズ・グループ / PHP研究所 2003/10
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要は物語なんだろうな。
自分の今のありようは、どんな物語の結果なのか。
どんな展開の末の結果だとみなしているのか。
それ如何。 それしだい。
病気だと語るか、宿命の話にするか、人のせいか、ただの偶然のいたずらか、自分に与えられた試練かはたまたゲームなのか。
ややこしい。まだ
・ 人格障害という命名の暴力と位置関係
・ 心の病と呪と治療 そして納得医療の可否
というレベルなので、斎藤氏の論まではとうてい云々しきれない。
”治療による病形成という暴力”を踏まえた視点と警鐘、この流れで一連の何かがあるとすれば、あるみたいな気がしているけれど、さても次はどれを見ておけばいいのやら。
需要と供給の干渉が生み出す解釈や概念。それに左右される精神医療。そしてメディアを通して補強に荷担する精神医療言説。かくのごとき複雑系な相互作用の記述はすこぶる難しい。下手をすればどうとでも言える、本人の視点の偏りしだいでどんな絵も描けてしまう。その中から最も説得力の帯びる何かを物語としてどう編み出すか。そしてさらにそれに対するカウンターの物語をどうサバイバルさせ切り込ませていくか。
生半可の腕ではただゴミを巻き上げ視界を遮るだけ。
その点、斎藤氏の物語手腕と腰の据わりはかなり上を行っていると思われる。
このくらい「相互作用」(もしくは相対的視点)を見据えた言説をものしてくれている脳研究者は誰がいるだろう。
相互作用的視点に親和的な人間は比較すると脳研究を選びにくげ、還元主義的な輩は脳言説にすがりがち、とかいう部分はあったりするだろうか。
平凡な内容の妄想の増加、希薄かつ浅い狂気の蔓延、キャパシティが過度に狭くなってきている今どきの「正常さ」。
…もしかしたら、衆生は正常からはずれて正常なのかもしれない。 ごくごく。
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