宙に浮く生命倫理 科学史と相対主義
「市民のための「遺伝子問題」入門」 奥野卓司編 岩波書店 2004/03
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「〈女中〉イメージの家庭文化史」 清水美知子著; 世界思想社 2004/06
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「負の生命論 認識という名の罪」 金森修著 勁草書房 2003/01
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遺伝子とは何か
バイテクベンチャービジネス起業家からの視点
遺伝子情報のプライバシー問題
遺伝子診断でわかること、できないこと、影響を受ける人々
遺伝子治療の虚実と展望
遺伝子組み換え作物の昨今
遺伝子問題を読み解く能力を磨くにはどうすればよいか
各項目についてそれぞれの専門家が概略を示し、別の専門家が要点を抽出解説し、項目末尾にはさらなる参考のためのURLと参考文献を挙げてある。それなりに重宝する。
ただ、一部書き手によっては温度差というか、ベクトルがえらい違う項目もある。そのあたり自体、まぁ、ナマな「問題の表出」例として勉強の材料にもなるかもしれない。

「奉公」、「女中」、これらの言葉について読み手は何を知っているだろうか。
今どきは下手すると「メイドさんフェチ」の文脈程度でしか捉えられていないかもしれないこの職業名、かつては社会上枢要なシステムの一部として確固たる位置を占めていた。
誇りと意味と修まりがあった奉公制度。主も従も、互いの関係が封建的だとみなす視点は持たず、家族同様に抱え、老いても面倒をみる、「日本の美風」として成立していた温情的主従関係。
そこに「教育」的観点から「無知無教養」な女中にも外部機関で教育を行えという圧力が介入してくる。
社会変化、異なる価値観が侵入してくると、何かが蹂躙(じゅうりん)される。表裏一体の啓蒙と侮蔑。かつての意味を失い、ケガレさえまとうかのような呼称になり下がってしまう「女中」。

下手なネットの普及だの、むやみなグローバル化だの、文化多様性やカルチャーショックを再認できる場がどんどん減っていっているような気がする今日この頃、相対主義な諦観は今は科学史方面で艶がいいのかもしれない。
この本は好きだ。
ちゃんと足場を疑っている。
人体実験。システムと時代含む環境要因、人的要因の相互作用として結実する悲喜劇。
「負の生命論」 p.35
<社会的弱者>というカテゴリーに曖昧さを感じる人もいる。だが、人間は陰に陽に社会的弱者とは誰なのか、その境界をたえず析出し、ある時点で弱者として特定された人々を蹂躙し利用するという傾性を間違いなくもっている。それを意識し、たえず是正し続けるという作業は、社会的公正の確保のためには必須の要件になる。
価値観は変動する。エートスは変化する。
断定は一時のなせるわざでしかない。時が移ろえば評価も翻る。
女中イメージ、 ブリンジ・ヌガグ、日本における身体観の激変、 女子割礼問題、 そして「Brave New World」。
今おのれはどのような世界が来たることを求めているのか、どのような価値観の変動に与し逆らおうとしているのか、それはいったいどの位置に配されているものなのか。
足元を、おのれの論拠を解体しきった先を見ずして倫理を云々できるか。
JKさん、もっと頑張ってくれよ。今ごろフェミや進化心理学をかじってるなんて、まぁこれからの成長に期待する、と言いたいところだけれど、どうも自分の足元をまだご覧になっていないような気がするし見る方向に向かってもいないような気もする。
そうさな、トラルファマドール星人はおのれをどう鑑賞してくれるだろうか。
へぇボタン:へぇ〜
と押してみるもよし※ 「負の生命論」の第4章には「LSDの産婆術」という論考が収められている。
LSDと言えば。いまどきはめっちゃ普通に売られているヘ**リーブルー、特にツッコミはされていないのかな…? あらら、検索でもほとんどひっかかってこないな、日本語のウェブ上では。
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