モトが平等だという誤謬
「平等だなんてウソだ」というセリフは、「人間はもともと平等である」と思い込んでいた人間が現実に驚いて吐くのであれば、「おい、誰が人間はもともと平等であるなんて言ってたんだよ!」てなツッコミがいのあるボケ役用のセリフになる。
「平等だなんてウソだ」というセリフが「人間は平等になるべく努力すべきだ」と言う人間に対して吐かれるのであれば、「そうのたまえるほどの努力をしてないだろ!」というひとつまっとうなツッコミになる。
人間はもともと平等ではない。
みんな違う。
大きな差がある。
その中で、平等をめざすことが求められるのが人間。
人間はもともと平等だと思っていたという人、いつどこでそう思うようになったのか思い出せるかい?

●「ベルカーブ」からの10年
2004/10 VDARE.com 'You Have To Tell The Truth' - The Bell Curve After Ten Years
●人種と優生学とオーダーメイド医療
2004/10 New York Times The Genome in Black and White (and Gray)
●人種的平等主義の終焉と社会生物学
2004/10 The Occidental Quarterly Sociobiology and the End of Racial Egalitarianism
●危険だらけのDNAの使い道 犯罪遺伝子データベース
2004/10 Los Angeles Times A Risk-Filled Use of DNA
●レオン・カス(キャス)、政治と倫理について語る
2004/10 Washington Post Playing Politics With the Sick
●歌手ビ「僕のDNAをどうぞ」
3rdアルバムに入れ、サイトで予約販売
2004/10 ▲日本語記事 中央日報@韓国

追記2004/10/15:
「平等であって欲しい」という願望の裏には、「自分は貶められたくない」「上下があったら下になるのはイヤだ」という欲望がべったり染みついてはいないか。
「平等であって欲しい」と言うのであれば、その前に「自分は何になりたくないと考えているか」をまず考えよ。
その「なりたくない何か」を貶めるべき対象とみなしていないか、直視せよ。
貶める対象を持つ自分が、そうやってそも「上下」を作り、「不平等に荷担」し、「平等を遠ざけ」てはいないか。省みよ。
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コメント
どうだろう。平等/不平等の二分法的な思考には限界があるような気がする。平等論者が自己の排他性や差別感に疎いことを指摘するのは分かるが、それとて、いまいち釈然としない。個々の社会的事象を例にして平等、不平等の問題を論じない以上、人間はみんな違う!という言説も、平等論者を批判するのと同じレトリックでうさんくさい。とにかく平等だの不平等というのは、社会的規範上の定義にかかっているのであり、生物学的な違いそのもののことではない。セックスとジェンダーの境界線があいまいな点があるから、そこらへん、論じる上でもごちゃごちゃになっているんだろうなあ。
投稿: miki | 2006.02.01 12:36
ジェンダー問題方面はいろいろと魑魅魍魎でたいへんだろうなぁとつくづく思いつつ。
もしかしてSo-netブログのfさんでしょうか?
リンクありがとうございます。m(__)m
投稿: amasaki | 2006.02.01 15:19