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2004.11.09

救急精神病棟

これを読むと、少し精神病院にあこがれを感じてしまう。

cover

「救急精神病棟」
 野村進著
 講談社
 2003/10

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 特定の限られた期間であれ、徹底的に関与してくれる誰かを持ったことはあるだろうか。
 私はない。
 だから憧れる。

 壊れた心の内部を推察し、恐ろしい断絶拒絶があろうとも、すべて慮って忍耐し介入し、つき合ってくれる、これは 夜回り先生にも通じる何かだなと思う。

 中身はドラマ「ER - 緊急救命室」の精神病院版だと思ってもいいかもしれない。
 一応ドキュメントなルポルタージュなのだが、体裁としては、研修医が現場に臨むというドラマ仕立てに近い形の語りが主を占めている。
 …ドラマ(フィクション)として読むしかないけどね。描写される患者については「モデルになった個人が特定できないように大幅にアレンジデフォルメしてある」と明記してあり、ドキュメンタリーとして受け取るには、病状部分がどこからどこまでがフィクションでどの部分がリアルなのかとんと定かではないので。

 介護・治療に当たる側の姿勢は、齟齬や失敗含め、丁寧によく描かれていると思う。この部分にはアレンジデフォルメは少ないと思いたい。

 で、看護側は、「感情労働」なのだそうだ。(p.127)
 言い得て実に妙。
 過日何件か感情的にひどい波及と心労を被った身としては、これ人ごとではない、感情戦はマジ命削るかと思うほど、ものすごい心的エネルギーを消耗する。
 意図が通じない。
 罵詈雑言を投げつけられる。
 感謝されない。
 理不尽な要求がタイミングお構いなしに降ってわく。
 自殺という全否定をされる。

 好きか。 嫌いか。

挿画

 余裕があれば、 「人格障害のカルテ 理論編」 に収録されている大河内敦子+粕田孝行の「人格障害論の現状と問題」にも目を通してみて欲しい。
 ”患者”の揺れをもろにかぶって感情的に動揺し振り回される、看護側の現場における苦しい心情が、この「救急精神病棟」に描かれたものよりはるかにリアルに吐露されている。
 患者の「好きだ」「嫌いだ」、気にしまいとしても、人として対応している以上、どうしても影響を受け心にダメージを被る。
 患者も看護者も、好かれるか嫌われるか、その戦い。

 進化心理学的に言えば、人間は同胞に好かれるか否かで生殺与奪が決まってきたような集団営巣生物。他者に好かれるか否か、良い子になるにはどうすればよいか、そこに異様に敏感になるような、汲々とした脳みそにできあがってしまっている。
 誰かに好かれているか否か、誰かに認められているか否か、それによって寿命そのものまでもが左右されてしまうような、それこそ命に関わるほどの過敏なセンサーが備わっている生き物。(好悪でストレスホルモン・コルチゾールや免疫機能が上下してしまう)

 で、この本は、患者さん自身に読んでいただきたいと思う。もしくは経験者に。
 ひどい病状の例が登場する。そしてそれを介護してくれ、理解しようとしてくれる人たちがここにいる。
 ここまでに至っても、ここまで自分が壊れてしまっても、わかってくれる人はいるのかもしれない、という何か救われるような安心感を読み手にもたらしてくれる。
 下手な「**病はここまで治る!」とか病気や治療方法についての知識本を読むより、この本読むほうが心の安寧にはずっといいんじゃないかと思う。
 知識じゃなく知恵がある。
 ”カルト入信者を脱会説得するときには、まず別のカルトの手練手管や情報を見てもらうのが一番”だったりするわけだし。

挿画

 病状が一番悪いときではなく、病状が回復してきたときに自殺を選ぶ患者の心情機序も、強くわかる。
 そも、ここで描かれる精神病院の中より、外の世界のほうが絶対恐いし。
 外。
 外界や他者。
 自分のものとはチガウ価値体系や意味体系、それとうまくやっていくスキルを要求される場所。
 自分のものとはチガウ価値体系や意味体系とおりあいをつけるのは、要するに世間とうまくやっていくのは、脳が行う作業の中でも格段に疲弊消耗を伴うしんどい作業。
 外に、社会に戻ろうとする回復期の患者。
 外との折り合いが壊れて病気状態になったのが患者だったんだから。
 外に出て、外の世界用に自分の中の整合性を作り直さなきゃならない。
 といっても、いったんぐずぐずに壊れた自分の中の整合性は、そう簡単にこしらえなおせる物じゃない。そのこしらえなおしの難しさしんどさ、異質だった自分をどう解釈すればいいのか、そこに絶望する、絶対絶望しちゃいそうだ。

 自分の中の整合性。
 病気のことじゃない、自分の中の物語のスジ。ナラティブ。
 病気で自分の中の意味関係や物語がすっとんでしまった、アッチに行ってしまった、それを、社会復帰に際して自分の中でおさまりをつけなおす、ひとつの物語に編み直す、これはホントに難しい作業だ。
 治し手として登場する人物は、精神科医でなくとも、脳屋さんでも進化精神医学でも人格障害論でもDSMでもそれはかまわないしそれなりに効いたりもするんだろうけれど、クライアントのナラティブ・つまり内面の物語までをも救う気がない救い手は、これは何かチガウと思う。救い手じゃなくてただのエンジニア的な調律屋じゃないかと思ったりする。音合わせはやるが、演奏方法や演奏の主題までは知ったことじゃない、そんな。
 回復期の患者さんは、演奏方法や演奏の主題がつかめず途方に暮れて、自殺を選ぶ。
 教えてやってくれ。導いて。
 ナラティブの修復を誰か手伝ってやってくれ。

 そう、”わかってくれているか感”も重要なんだろうな。
 この本では施療者と患者の「治療同盟」と表現される。
  外在化もやり方としては簡単でいいのかもしれないが、彼ら患者が求めているものには「本当に信用のできる同盟関係を誰か一人とでもいいから結べれば」という部分ががっしりあったりする。

 特定の期間であれ、徹底的に関与してくれる誰かを持ったことはあるだろうか。
 私はない。
 わかってくれようとして食い下がってきた人間に会えたことがない。
 だから、ここで描かれた精神病院の世界に憧れる。

挿画

●p.368ほか、複数の箇所で ”精神科以外の医者が精神病に対して抱いている間違った偏見” が、精神科医療の現状に少なからず悪しき影響を与えている旨、指摘されている。
 おまえさんがた、異分野の現状について知ったかぶってくれるんじゃねぇよ!
 そういえば、たまに物理学者が「脳学者は脳のことをわかっていない!」とくさしたり、脳学者が「心理学者は心のことをわかっていない!」とこぼしたりする、そういう「なんぼなんでもそりゃあきまへんがな」な分野間の壁も思い出してみたり。
 迷惑ですよな。

●p.37、一生懸命なあまりに壊れてしまった患者さんに「あんたいい人なんだね」と声をかける。「すごくまじめなんだね」。
 そう。
 不真面目だから壊れるんじゃない、何かにまっすぐでありたいから、純粋でありたいから、まっすぐではなく純粋でもない外界の中で、壊れてしまう。
 「オカシイ」んじゃない、ヘンじゃない。ただ「頑張りすぎた」んだよ。
 「がんばれ」じゃなく、「ねぎらい」の言葉をかけてやるべきなんだ。
 まっすぐではなく純粋でもない外界の中で普通であれるほうが、どっかおかしいしそれがすでに”超能力”なのかもしれない。

〓〓〓 EP 〓〓〓

この箇所へのリンク【心の病と睡眠障害】

●p.36、【精神病発病の直前には「必ず」と断言してもかまわないほど不眠が現れる。】
 興味深い示唆だし、家族縁者関係者もこれは知っておいて損はない情報だろう。
 脳がバランスを取りきれず疲弊消耗して、まず睡眠中枢が不調の予兆を示すのか。

追記: 睡眠ペースがおかしくなったら心のお医者さんに診てもらおうね
2006/08 【日本語記事】asahi.com 睡眠薬服用者の3割がうつ症状 製薬会社調査
2006/08 【日本語記事】 毎日新聞 睡眠薬:服用4割にうつ症状 「不眠」以外も治療を−−製薬会社調査

2005/06 【日本語記事】asahi.com 自殺未遂者の7割睡眠不足、平均5時間 厚労省調査

悪い夢を見たあと自殺企図を起こした人は、再度自殺を図る率が高い
●NEWS2009/02 EurekAlert Nightmares increase risk of further suicide attempts
 2ヵ月たっても悪夢にさいなまれている人々の場合、再度自殺を試みる率が倍にのぼる

〓〓〓 EP 〓〓〓

この箇所へのリンク【心の病いと見た目の若さ】

●p.145、心を病む人は見た目の年齢が若く見えるという指摘が記されている。
 アスペルガーも、高次脳機能障害も、見た目の年齢が実年齢より若く見える例が少なくない。シワが少なかったり、若々しかったり。
 世間との折り合いをうまく付けられる脳を持つ人間は、そのぶん代償として歳をとるのかもしれない。
 その人の前頭葉機能の微妙な働き具合が、顔面の表情筋のバランスに作用して見た目の印象に反映してしまうのかもしれない、とも思ったりする。

●p.190、いわゆる「電気ショック療法」、ECTについてページが割かれている。
 電気ショック療法にまつわりつく悪質な偏見と、技法が改善され現場で効果的に用いられている実状の齟齬。
 報道記者自身までもが過去の偏見にとらわれて、昨今のECTの現状について理解せぬまま偏見を露呈したような記事を記してはいないかと苦言が提示される。
 素人の私でも、精神障害に関わる報道で、こりゃどうも不勉強じゃないかと思ってしまうようなものはいくつか見聞している。
 別の箇所(p.372)には、心の病に見舞われた人が陥る四重苦が記されている。
  ・病の苦しみ
  ・内面を理解してもらえない苦しみ
  ・内面を表現できない苦しみ
  ・差別偏見がもたらす苦しみ
 昨日、テレビ東京のうつ病を扱った番組で、みのもんたさんが「もう偏見はありませんからどうぞ精神科に!」との旨おっしゃっていたが、まぁ、正直言ってフカシにしか聞こえなかったりしている。

●差別偏見の最たる物は「精神病患者は恐い」なのだが、これに関してはまず 「精神病者より恐ろしい普通の人々」 を参照してもらうとして、それに加えてこの本では「精神病患者が恐いのではなく、精神病患者のほうがあなたがたのことを恐がっているのですよ」という点が何ヶ所かで指摘されている。
 そう、他者とうまく交われないから他者が何より恐ろしい、だからよけいに…というドツボにいることが少なくない、それが彼ら。
 人間と名づけられてはおれど、人間が人の間で生きるのは大変なことなのでございます。

 健常者が精神病患者に対して示す過剰な忌避感情は、進化精神医学的に見ればそれは進化的に適応的だったから、みたいな説明がなされることもあるけれど、現場の「救済」に縁遠かろうかような解釈は、この際介入されてもうざいだけな感じ。

●p.320、今どき流行りの進化精神医学的解釈が少し登場する。
 最初に河豚を食った人、みたいな”捨て石”役の話として。
 …この解釈もちょっと場面によっては良し悪しだけれど。

●p.352には、 「人格障害のカルテ 理論編」 で 宮台真司氏と高岡健氏が開陳していたような、精神保健における社会学的要因の解釈が登場する。
 変化した社会状況が、人の心に無理を強いている部分があると。

●p.196、 精神障害者救済の場でのインフォームドコンセントについて、現場の観点が鋭く記されている。
 この本で扱っているのは救急精神医療。
 救急の現場では基本的に自分で正常な責任判断ができなくなっているか否かで処遇を判断される。
 と同時に、患者さんの判断能力によって、インフォームドコンセントのありようも変わるのだと。

挿画

●実際問題、この本に登場する精神病院は「素晴らしすぎる」。
 このクラスの施療者はそうそう見つかるものではないと思う。
 ひどいレベルの病院が、普通にそこらで営業できてしまっている現状は厳にある。
 うちの近所の精神科関係はどうもろくな評判を聞かない。
 短時間面接で簡単に決めつけ恫喝し薬をすぐ出す外来専門メンタルクリニック。
 患者をヒト以下と見るかのように頭から見下す院長&長期入院第一の精神病院。
 そのような悪評判がたってしまっていても、経営が充分成り立ってしまっている、そんな世界。

●触法精神障害者や犯罪者の精神鑑定とその処遇についても考察が記されている。
 日本でも最先端に位置するとされるこの「救急精神病棟」を統べる人が述べる見解は見るに値する。また、この「救急精神病棟」に習うシステムが、日本で充分普及していかない現実とその問題も、傾聴に値する。

 
 人を救いたい、事件を未然に防ぎたい、と考えるのであれば、この本は目を通しておいて損はない。一読を勧めたい。

挿画

 この本に関しては、読み手が経験者か非経験者なのかで、感想がどのくらい様相を異にするか、そこを見てみても面白いだろうと思う。
 非経験者が記す感想文を見ると、彼らがいかに「他人事扱いして理解してくれていないか」「自分の偏見に気づいていないままで結局読み終えているか」が如実に現れていたりするんじゃないかな、とか。


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情報庫: 精神保健


 

 拒否と反発をものともせず相手を理解したいのだと関与し続ける、その救済行為を「自分を相手にわかってもらうこと」だと勘違いしてはならない。

 

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コメント

なるほど、という思いと、自分が入院した時親身になってくださったスタッフの方々を思い出して泣けました。
年齢が若く見えるのは、事実です。三二歳の女性がいたのですが、見た目は二十歳ぐらいの感じでした。わたしは現在三十を過ぎていますが、やはりしわが少ないなどとよく言われます。

病院を出てから、二年ほど経ってやっと、自分と自分以外の人間は別々の主義主張を持っている別個の人間だと認識しました。それまでは自分の延長にある、なんとなくそこに居る人間達だとしか思っていませんでした。この本、読みたいです。

投稿: 美紗子 | 2005.12.18 07:48

 はじめまして。書評、拝見いたしました。私も精神科で看護師をしておりました。私は、医学的視点ではなく看護的視点から、執筆を通して精神科看護について日本の精神科に向けて問題提起をいたしました。 
 精神科でも医師よりも看護師の数が当然ながら圧倒的に多いわけですが、残念ながらそのなかから今の内情を変えていこうとするものが少ない。暴露という意味ではなく公に問題を提起する人間も少ない。看護師が最も患者と接する時間が多いともいわれているのに何故、ノウハウ物の書物しか出版されないのか。現場からもっと変化を求める声があっても良いはず。それを阻んでいる要因は沢山ありますが、だれかがそれを突き破る必要もあるのではないか。そう思って、精神科看護を大きく揺り動かす為に、本を出版いたしました。
 救急精神病棟とは、まったく違ったペンのタッチですが、一度ごらんになりご感想をいただければと思います。まことにあつかましいコメントですが、お返事ただければ幸いです。

投稿: もっさん | 2006.02.25 13:06

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『EP : end-point  科学に佇む心と体: 救急精神病棟』を読んで http://am.tea-nifty.com/ep/2004/11/anoth... [続きを読む]

受信: 2005.01.24 12:10

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