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2005.01.11

政治する考古学、偏向する過去解釈

マルクス主義に、フェミニズムに進化論。
考古学って掘って調べるだけじゃなかったんですね、こんなにみっちり政治がらみだったとは。

表紙「入門現代考古学」 C.ギャンブル著; 同成社 2004/10
 (2001/ Archaeology / Clive Gamble) 

このタイトルで中身はどんな本だと思います?

 今までの考古学史と最近の研究成果はどうだの、どこの遺跡でどんなことが行われているかだの、放射性炭素年代測定法とか新しい調査技術とか解説して、云々… だと思うじゃないですか。

 違う。

 研究者が意識してか知らずか乗っかっている政治性や思考の枠組みについて、その把握・自覚・対処について、入門させてくれる本。
 技巧じゃない、「考古学におけるモノの考え方」をレクチャーしてくれる。
 考古学という学問において 思考方法 がどんな感じに変遷してきたか、現場作業を超えたメタ考古学というのかな、そっちがメイン。
 考古学”理論”入門。

「入門現代考古学」 p.147
考古学という知的な営為は過去のモノをもてあそぶことに満足するだけでは不十分なのである。考古学者にとって重要なのは、過去に問いかけ、過去にはせわたるためのアプローチの仕方を模索し、どのように解釈するのかを考えつづけることだ、といえるだろう。実は、こういった構えこそが重要なのである。

 考古学と言ったら考古学じゃないの? 掘って分類するだけが能じゃなかったの?
 どう種類のありようがあるのか。
 どんな理論があるか。

 昔はどこぞの切手コレクターのごとき、古物のカタログ作成に終始するような博物学的考古学がほとんどだった。
 それが、過去の文化や生活を推理し解釈する人類学的な考古学になっていき…

「プロセス考古学」:文化的なシステムの適応と変化から人間行動の法則性を見る?
「ミドルレンジ・セオリー」
「フェミニスト考古学、ジェンダー考古学」:男性中心主義的解釈の存在を逆照射し問題点を浮かび上がらせる
「マルクス主義考古学」 :生産様式を手がかりに文化や生態を解釈しようとする
「解釈学的考古学、ポスト・プロセス考古学」
「ネオ・ダーウィン主義的考古学」:進化研究を援用する
「新進化主義考古学」

 時代や政治で様変わりしていく研究内容。
 それによって、考古学的解釈も変遷したりする。主義や流儀で見えるものが違ってくる。
 理論紹介の中、進化心理学の影があちこちに出てくる。
 不勉強な私はこの方面には疎くて、かなり新鮮。
 素人の知らない考古学プロパーによるメタサイエンス、みたいな。
 この本、入門と銘打ってはおれど、ある程度考古学そのものを知っているもしくはその道に進むことを決めている人間、でないと読むのはつらいんじゃないだろうか、みたいな感じはする。文章は平易でも、前提されている知識レベルがやや高め。

 しかし、考古学は文化人類学とどう違うんだろう。
 「主役のいない」異文化の異文化による解釈であり、発展史的にも理論的にもかなりの部分でかぶってくるんだろうな。

 「主役のいない」異文化の研究の仕方、古代の有り様を探る研究は「タマネギの芯」になぞらえられている。(アーティチョークの芯と言う場合もあるようだが→「98%チンパンジー」p.236)
 モノは痕跡が残るので、かつて「どんな物体があったか」はすぐわかる。
 それが「どう使われていたか」は少々推理が必要。
 どこと交易してどういう社会構造で、は、さらに資料の積み重ねと推理が試される。
 一番はっきりさせにくいもの、最も掴みづらいタマネギの芯は、「彼らが何を考え何を信仰していたのか」。

 当時の信仰や心性を想像すること。
 「入門現代考古学」 p.177 あたりにその手の心性の推察が記してある。
 青銅器時代の人間は何をどう考えていたのか。
 青銅器時代の土器に使われる混和材は「骨」のシンボルである、それは「祖先からの引継」の意味合いをはらんでいるのだと。

 あちゃー。        ファンタジーだね。
 証明しようのない話。

 似たようなものかな、民俗学で見かける推理・仮説も、研究や科学と言うよりは「物語作り」に似ているなと思った。
 職業作家による物語創作に似たナラティブ生成。

「もののけ 1」 山内昶著 ものと人間の文化史 法政大学出版局 2004/08
「もののけ 2」 山内昶著 ものと人間の文化史 法政大学出版局 2004/08
2章未開のマナ論:マナ〜ママ〜マが指す自然の力と女性性
3章日本の魔物論:農耕は聖なる自然を屠る母親殺しに通じ、生贄儀式を伴う

  中沢新一が好きな話を参考にしてもいいだろうし、 痴呆老人が紡ぐ物語に思いをはせてもいいだろう。

糞の力 クソマルの神話学
 しかし、こうしてみると、[民俗研究における] 思考の流れは小説などの物語の作法にかなり近いものを感じる。
 民俗学上の推理と、物語創作との違いは何か。
 紙一重か。

 腑に落ちればそれがその場の真実として浮上する?

 これはもはや科学ではなく、共同幻想。 共有ナラティブのレベル。
 共有可能な物語は、正しい物語だとは限らない。
 でも、我々が共有し納得できるのは、共有可能な物語だけ。

 ヒトの脳に於いては、取り巻く諸条件によって共有可能な物語のパターンはいきおい限られてくる。
 そこから、古代の思考は類推しうる、という希望的観測も生まれるし、現代の科学者も同様に偏っているのだ、と省みることも可能。

●●●小玉7●●●

 日本での考古学スタディーズはどうなっているのかな。

 ウェブではそれっぽい思考の痕跡がいくつか拾えたが。
 → 『もの研往復書簡: らんまる−中井』 2002年
  その1   その2   その3   その4

 「入門現代考古学」 訳者あとがき p.342
とくに日本考古学の場合、なかなか新しい考え方が受け入れられないように見える。その理由はいろいろあるだろうが、やはり確固たる学問的な伝統という信念を相変わらず多くの人々が抱いているからなのだろう。その不気味なまじめさはいかにもアジア的ではあるのだが。
 日本考古学は現状のままで十分、という人々に本書は無用である。

だそうです。

●●●小玉7●●●

 さても、ローカルな業界の常識、ローカルな時代の常識が、いかに「科学」を偏らせうるか。

 「どのような考古学にも時代的な背景がある」
     〜入門現代考古学 p.46;デヴィッド・クラーク

 過去には 日本人と朝鮮人は同じ出自なのだから同化させてよいという解釈を導き出し(日鮮同祖論天皇家朝鮮渡来説 )植民地主義を押し進めることに荷担した日本の考古学。

表紙
「人類にとって戦いとは 5 イデオロギーの文化装置」
 国立歴史民俗博物館監修 福井勝義/新谷尚紀編 東洋書林 2002/11
・弥生文化と日鮮同祖論 藤尾慎一郎
・戦争と柳田民俗学 新谷尚紀
・歴史的認識・戦後歴史学・ナショナリズム 吉田晶

 去年末に北朝鮮で放送された科学番組、「人類の祖先は朝鮮半島で誕生した」旨のシナリオだったそうだ。
 日本もついこないだまで似たような歪曲を知ってか知らずかやっていたわけで、あまり笑ってもいられない。

※ 北朝鮮の「長髪は馬鹿になる」というキャンペーンは年末にテレビで紹介してたので、今ごろ話題になるとは…:日本の首相が長髪だからだそうで。

●●●小玉7●●●

※ 参照: 「認知考古学のお通りだ」

※ 最先端の遺伝研究や行動遺伝、進化心理学で「科学が偏っていますよ!」というお話はこちら
  ┗ 「失礼な遺伝学、偏向する科学者感覚:98%チンパンジー」


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情報庫: 日本の考古学 過去の文化 科学と社会




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