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2005.01.04

福島現象と戊辰の呪い

すみません、とってもナゾなんです、福島県が。

●●●小玉7●●●

●福島の内部で分裂している

 「会津(若松)」「中通り(福島)」「浜通り(小名浜)」で気質も違うしお互い反目もあるらしい。
 ヨソからすれば福島県は福島県で別に何も気にならないのだが、地元ではこの3区分は厳然と違うものであるらしい。
 会津・中通り・浜通りは混同はできないのだ、一緒くたにして欲しくない、と会津出身の人が強く主張していた。「県」としてくくられること自体不本意だとまでも言いかねないいきおいで。ハタから見たら3地区の違いなんてさっぱり知られていないし気づかいようもないのに、そんないきなり失礼呼ばわりしてくれても…。
 昔、「32人31脚」番組だったかな、その応援ゲストで加藤茶氏が、司会に「福島ご出身だそうですね、福島の代表校にメッセージをお願いします」とふられて一瞬強いとまどいを顔に出してから、しぶしぶ言葉を選んで応援を述べていたのが印象に残っている。
 たぶん自分とは「通り」が違うチャレンジ校だったのだろう。

 県民性関係のサイトを見ても3つの地区の差が明記されている:内陸ほど閉鎖的&古風。

中通り、浜通り、会津のご当地気質の差:
「県民性の法則」でみる上司と部下の攻略法 @プレジデント
県民性を知って問題解決! @週刊!エキサイト

 これはかつて藩が違ったからとか?
 いや、そうでもないみたい、磐城と岩代…( 藩の地図
 戊辰戦争の遺恨(後述)と街道違いと浜気質(浜独特の気風は各地沿岸・北海道にもある)から来ているとか?

●●●小玉7●●●

●大阪嫌悪症

 福島出身で、転勤の多い職の人が「大阪方面には絶対転勤させないでくれと堅く上に頼んである」と言っていた。
 その人は「大阪の人間はひどいと思う、とうてい馴染めない」と断言していた。(でも大阪人とつきあったことはないらしい)
 別の福島人は大阪に出向く際に「大阪に行ったら東北弁の人間はいじめられる?嫌われない?」とひどく気にかけていた。個人的にはどっちかというと関東のほうが東北弁イジメをやるような気がするんだが
 いったいこれは…何なんだろうといぶかっていたら、ふと検索した県民性関係のサイトにこういうものが。

大阪と福島の相性が悪いとする: 県民性ワールド
 特に「中通り」が京都・大阪とそりが合わないとのこと

 寡聞にして大阪側で福島を嫌っている風は見聞きしたことがないので「被害妄想?一方的片嫌い?」と目が点に。
 大阪人さんがたは、福島に対して何か特別な感覚はある?
 私的には福島人が大阪のことを悪し様に語ってくれてからは、なんとなく福島がキライになってしまっているんだが。
 もしかしてやはり戊辰戦争が原因?(後述)

●●●小玉7●●●

●東京、都会、そして官軍

 福島の人に「新幹線で東京まで一時間だから福島は都会だ」と言われた。
 これは…よそ者にはすごくわかりづらい感覚なんですが。(;_;)
 これにかぎらず、何かにつけ「田舎じゃない」、いや、なんというのかな、「東京とは違わない」といいたいのかな、中央か何かに向かってなにやらすごく強い志向性というか、こだわりがある気配がひしひしと。
 とても不思議なモノを感じて。
 下手をすると、ローカル感覚の勝手な中心化・日本化、ズレたプライド、東京コンプレックス、みたいな処理をされかねない何か独特な執心が…。

●●●小玉7●●●

そんなこんなで長いこと私の中でワンダーランド福島だったのだけれど、次の本を読んで何かワンダーランド謎解きの大きなヒントをもらえたような気が。

表紙
「日本人の死のかたち 伝統儀礼から靖国まで」

 波平恵美子著 朝日選書 朝日新聞社 2004/07

 日本政府は、日本のお国のために闘って死んだ者を、永遠にお国の者として所有し続けるということを、維新から始めてしまった。
 お国の者として葬られなかった兵は、日本国の民ではない反逆者という烙印を押されたままになる。

「日本人の死のかたち」
p.201-202
戊辰戦争における「官軍」の戦死者の遺体は戦死した場所の近くの寺院に埋葬され、その霊は招魂社にそしてのちに靖国神社に祀られた。〜中略〜
 一方「賊軍」とされた会津藩士の遺体の埋葬は「官軍」・政府側によって厳禁され、藩士の遺族や近くの住民が埋葬した場合には罰せられたために、戦死した藩士たちの二〇〇〇近い遺体が会津城下や周辺の農村にまた山野に放置され、無残な姿をさらしたままにされた。生き残りの藩士たちのたびたびの請願によって数ヶ月後にようやく埋葬が許可されたが、死者儀礼をおこなうことや墓碑を建て戦死者の名を記すことは長い間許されなかった。
 こうして、近代的軍隊の形成初期に、戦死者の遺体が埋葬されず、また何らの死者儀礼もおこなわれないまま放置されるのは、敗者への最も厳しい処罰の表現となった。それとは対照的に、国家の兵士の遺体は必ず適切に処理されるかその遺骨は管理され、またその霊は国家によって祀られるべきとされた。こういった認識が、日本の近代軍隊が強固に成立するうえで、戊辰戦争における戦死者の遺体の取扱いは重要な要因となった可能性がある。

 日本の政府と軍は、死者の待遇を、国の結束のシンボルとして利用した。
 会津の民は、日本という国が結束して立ち上がるときに、その枠の外部:反逆者を示すシンボルとして利用された。
 その呪いは、

「日本人の死のかたち」
p.203
一九七六年になっても会津地方の明治二〇年代生まれの女性に「私の弟も息子も靖国神社に祀られているのだから私たちはもはや賊軍ではない」と言わせた背景となっている。

 兵士は日本国によって祀られなければそれは 日本の兵士だとは認められない 。「非業の死をとげた不幸な死者」として救われないままになる。
 日本国に認めてもらえなかった、日本国から排除された会津…

「日本人の死のかたち」
p.159
「死者」をどのように位置づけるのかが、残された者の側の意図や残された者の社会的・政治的位置と何らかのかたちでかかわっていることを示している。さらに、そのように位置づけられ性格づけられた「死者」の存在が、またひるがえって死者の位置を決めた者自らの位置を決定するという死の文化が、現在も成立していることを示していよう。

 やがて、官軍〜日本国〜東京と、時代を経てシンボルの変換が加わり、福島人をもってして「新幹線で東京まで一時間だから福島は都会だ」と言わせる一種独特の「東京志向=東京同化願望」が培われてしまっているのではないか。
 県民の特徴とされる閉鎖性や結束性は、戊辰戦争の遺恨のたまものであり、遺恨と結束の相乗効果が、他の地方との一種異様な関係性を延々保持させてきている…?

表紙
「人類にとって戦いとは 5 イデオロギーの文化装置」
 国立歴史民俗博物館監修 福井勝義/新谷尚紀編 東洋書林 2002/11
・幕末における会津藩士の殉難とその埋葬 会津戦争を事例として 今井昭彦

福島人チェック! 〜ご当地チェック@Web永浜商店
 ↑戊辰戦争や白虎隊についての遺恨が…こわ
  関東コンプレックスも少なからず表れている
北海道の項目数が福島の約4倍ある…なんなんだこの北海道の項目の多さは。(どさんこはアバウトでモノズキ、囃したがり)

 そして。
 福島人が大阪嫌いする原因は何?
 戊辰戦争で大阪人が何かやったんだろうか?
 鳥羽・伏見の戦いで会津藩が官軍に負けたからとか?
 …だとしたら関西人的には マサカァ… なリアクションになってしまうんだけど。勝ち組は水に流し負け組は石に刻む?
 やや想像を超えていてナゾ。

 若人や福島人的には、そんな「歴史の呪い、政治のいたずら」に自分の社会的好悪が現に左右されてしまっているかもしれないこと、どう感じて下さるのでしょう?

●●●小玉7●●●

 文化や思考枠、行動枠が人間に刷り込まれる件については、
  ●「物語の刷り込み、伝承文化
  ●「昼むかし」:思春期と物語の刷り込み
もご参照を。

「日本人の死のかたち」については 「日本人が共有する死の物語」 を参照下さい。


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情報庫: 寿命、死 文化人類学 民俗学 宗教・信仰 文化心理学

◆会津藩、戊辰戦争に散る 江戸から明治へ、新時代をめざした少年兵
 『会津藩、戊辰戦争に散る
 江戸から明治へ、新時代をめざした少年兵』

  新・ものがたり日本歴史の事件簿
 小西 聖一著 高田 勲画
 理論社 (2008/11)




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コメント

 55歳になる福島県民です。大学生活で宮城県に出た以外は、福島県で暮らしてきました。はっきり言って、福島県民は、自分の東北弁にコンプレックスがありますが、大阪人の大阪弁も嫌いです。その理由は、男は「ヘラヘラしない」ということが身についているからです。従って、大阪以外でも、大阪弁を聞くと非常に浅薄な感がして、人間性を疑いたくなります。次に、これは私が1976年頃でしたか、福島市から会津若松市に出張に行った際、旅館の女将から実際聞いた話です。女将が言うには、「この前の戦争でひどい目に遭ったから何も残っていない」とのことでしたので、太平洋戦争のことかと思っていたら、どうも戊辰戦争の話をしていたようで、中通り人として驚きました。今から30年前は、戊辰戦争は曾祖父の時代の話で身近だったのです。米国での南北戦争と同じ感情ですね。
 あまり知られていませんが、福島県の中でも、二本松市の丹羽藩は戊辰戦争の被害の特にひどかったところで、白虎隊より年少の少年隊が全員討ち死にをしています。二本松市の南東に位置する三春町には、三春藩がありましたが、戊辰戦争の時、二本松市との盟約を破り官軍に寝返りました。今でも、二本松市では「三春に嫁はやるな」と言われています。今から10年以上前になりますが、会津若松市と山口県(長州藩)下関市との姉妹都市締結の話がありましたが、戊辰戦争の恨みを忘れたのかと議論になり、話はまとまりませんでした。会津市民は、東京(薩長)に対するコンプレックスも非常に強く、山川健次郎という生き残りの白虎隊士が東京帝国大学総長になったことなどを誇りに思っています。
 とにかく、他の県もそうでしょうが、福島県も非常に複雑な県民で構成されている県だということです。
 

投稿: 松平容保 | 2007.09.10 23:07

 コメントのお手間いたみいります。
 見知らぬ土地のことはたいがいステレオタイプですましてしまうのが人の常。
 上方の「ヘラヘラ」にしても、テレビ(吉本新喜劇)の影響が、地元に対してもヨソに対しても強すぎるんでしょうね。昔はここまで「へらへら」な印象を安売りするような地方ではなかったし、古風ななにわ弁はぴしっきりっと厳しいものだったし(松竹新喜劇)。
 戊辰戦争がらみから来る他の地方に対する怨念(思い込み?)の強さ、福島は図抜けている印象はありますが、関西人が会津若松に赴任してもそのあたりほとんど察知せぬままに終わった例もあり(http://ep.blog12.fc2.com/blog-entry-593.html#fuk)、どこで誰に対してそれを表出させるかも、TPOそれぞれに加減が行われているように思えます。
 福島には、沖縄や在日の人たちにも作用しているような「共有される過去の記憶が怨念のような感情動員的表出をするように刻み込まれるメカニズム」と近いものが働いているのかもしれませんね。
 感情動員装置(http://homepage1.nifty.com/NewSphere/goto/remix/blog-entry-133.html#doin)
 百年以上前の出来事が現在のように語られる地方として京都がありますが、そこでは過去の記憶は団結してヨソと対抗するためのバネ、つまり怨念の再生産装置としては、使われてはいない気配です。

投稿: 雨崎良未 | 2007.09.11 11:27

ご返事ありがとうござごいます。私も文化人類学を研究している者ですが、「次に、関西人が会津若松に赴任してもそのあたりほとんど察知せぬままに終わった例もあり・・・・」という記述に対し若干説明します。このようなことは、福島県民にとっては、当たり前のことであり、中通り、浜通りの住民も会津に転勤すると「三泣き」というものに泣かされました。第1に、見知らぬ「会津」に転勤するという「泣き」、第2によそ者を受け入れないとする雰囲気への「泣き」、そして最後に、受け入れてもらって会津から離れたくないと思う「泣き」のことを言います。同県人ですら、このような状態ですから、ましてや関西人が、その機微を知るわけはなく、(よほど戊辰戦争当時の歴史に詳しければ、話は別ですが、そのような人はまずいないでしょう)
 さらに、会津の「講」への参加がどのような意味をもつかなど考えてもいないでしょう。この「講」がどのようなものかは、すでに研究がなされていると思いますが、韓国に現存する私的融資体制である「無尽」あるいは「頼母子講」が形式的に、会津にはあり、その参加が認められるかどうかが、会津社会への参加なのです。

投稿: 松平容保 | 2007.09.15 11:28

 三泣きの話は有名ですね。
 閉鎖性が、会津では、特に脈々と「ヨソのと違い」として機能している、しかもそれを外部に対して敷居の高さがこの地の良い面でもあるのだと誇りたがる、そこが興味深いですね。

 単に「講」とくくるだけで見るならば、「講」と呼ばれる組織は無尽講含め日本のほかの地方にも種々存在していたと思います(http://www.kuniomi.gr.jp/geki/juuu/kou.html)。内輪的組織という面から見るなら、「講」と名が付かずとも、福島より北の「隠し念仏」など秘密結社状態のつながりはあるわけで、でも内輪的つながりを自分たちの特徴として外に対して表明する例は、そんなに多くはないような気が。
 うちと外の違いを特に強く弁別する、そしてその壁の存在を喧伝する(三泣き)、この傾向は、戊辰の結果が特に外に対して内輪性を強く保持する方向に作用してきたゆえなのかなと、いろいろ考えさせられます。

 うちは研究者のたぐいでなく、「食い違い」や「ズレ」に惹かれる人間です。
 このエントリを置いたきっかけは、「大阪」に対する福島人の異様なリアクションにギョッとさせられたゆえでした。福島人との接触は多くはないのですが、その少ない体験だけで、じゅうぶん尾を引くほどギョッとさせられた。
 前述の「察知せぬまま」例は、数度の接触どころか、会津の当地に赴任して長く暮らしても察知せぬままに過ごされたわけで、もしかすると単に「違和感を察知しづらいタイプの人もいる」というだけの話かもしれません。

投稿: 雨崎良未 | 2007.09.15 20:43

訂正2行目:「ヨソのと違い」->「ヨソとの違い」

投稿: 雨崎良未 | 2007.09.15 20:49

えぇぇ。福島が戊辰戦争で関西嫌いだっていう伝説はまだあるんですか。印象と伝聞だけでリアルにまで影響力ある記事を書くのは勘弁してください。。

投稿: bluesidus | 2007.09.17 07:18

 福島県民である私が、印象と伝聞だけで上記のような文章を書くわけがないことに気が付かないのでしょうか。
 その証拠に、1997.12.06付けの朝日新聞の記事を登載します。これは、その後和解に進んでいるという記事です。

 戊辰戦争から130年、恩しゅうを越えて 萩市と会津若松市【西部】1997.12.06 西部夕刊 3頁 らうんじ 写図有 (全1,818字)(一部省略) 
 憎み合ってきた人たちが、歩み寄ろうとしている。長州藩の城下町・山口県萩市と会津藩都・福島県会津若松市。わだかまりのきっかけは、明治元年の戊辰戦争にさかのぼる。長州を中心とした新政府軍に負けた会津では特に、「長州憎し」の気持ちが根強い。あれから約百三十年。仲直りの努力の一方で、新しいライバル関係を目指そうとする試みも始まった。(萩通信局・奥田誠)


 「手なんぞ結んで来るんじゃねーぞ。年配の人たちからは、そう言われました」
 会津若松市の白虎(びゃっこ)隊伝承史学館の鈴木滋雄館長(五九)の言葉に、会場は静まり返った。
 十一月七日、山口市の県立山口図書館。その名も「会津と長州の恩しゅう」と題した公開討論会に、鈴木さんは招かれていた。
メッセージを寄せた山内日出夫・会津若松市長の言葉を借りれば、「山口県の公共団体から会津人が招へいされるのは、一八四四年以来、百五十三年ぶり」。

 鈴木さんは「遺体処理の問題が、おん念になっている」と続けた。新政府軍が会津藩の戦死者を埋葬することを許さず、さらし者にしたことを言っているのだ。
「ただ……」と言って、鈴木さんは発言を結んだ。「百三十年前の恨みをいつまで語っても仕方がない。過去の歴史を認め合い、将来どうするかが大切だ」

約二百人の山口県民は、大きな拍手でこたえた。

 来年四月には、会津若松市で萩観光物産展が開かれる。一九八九年に一回目が開かれたが、二回目は延び延びになっていた。

 「あのときは、言動にはくれぐれも気をつけてくれ、と注意したものだ」。萩商工会議所の山根龍也専務理事(四九)は遠い過去を振り返るような口調で言った。それぞれの商工会議所の人たちなどが両市を訪問し合い、きずなを深めてきたという自信がのぞく。

 会津若松商工会議所の観光運輸部会で部会長を務める渡辺克己さん(六二)は「山口県が関東や関西で物産展を開くとき、会津を抱き合わせれば、いい話題になるのではないか」。会津が萩を抱き合わせる場合もしかり、というわけだ。

 交流が深まるにつれ、「姉妹都市の提携を」という声も萩では出始めた。ある萩市幹部は「いっそ、『ライバル都市』というのはどうか」と提案する。「長州と会津。全国区の歴史をうまく活用するには、全国に一つしかない形がいい」

 心と心を通わせようとする一方で、恩しゅうさえ利用しようとする、したたかさ。それだけ明治は遠くなった、とも言えるだろうか。


 ●記者ひとこと

 長州の無関心と会津のこだわり。戊辰戦争に対する両者の意識を一言で表現すれば、こうなる。

 幕末を動かし、新政府を支えた人物を数多く出した萩で、戊辰戦争は「栄光の明治維新」の一幕に過ぎない。一方、会津では、雄藩から没落し、数々の辛酸をなめる契機になった。

 長州のむごい仕打ちの数々を、子どものころから聞いて育った、という人もいる。踏みつけた側は忘れやすく、踏みつけられた側にはおん念が残る。

 戦後の日本とアジア諸国との関係にも似た構図に思える。加害者が歴史を正しく学び、被害者の心情に思いをはせることが、本当の和解の第一歩だろう。

*なお、京都では、過去の記憶は全て勝者(王、官軍)として位置づけられているので、怨念の再生装置が作動しないことを明記しておきます。

投稿: 松平容保 | 2007.09.17 09:42

うわお、ものすごい記事投下されましたね。10年前とはいえリアルだ。('_';;;

「京都では、過去の記憶は全て勝者(王、官軍)として位置づけられている」まさにそのとおりです。
大阪もそう、長州もそう。
勝ったほうは勝ったことさえ忘れている。「え、何のこと?」状態。
そして負けたほうの怨念は、独り相撲状態に空回り。

そして。
上で、はさがったbluesidus氏は、先方のサイトを見る限り、福島県在住のネット活動比重が高い20代の若者のようですね。福島県内部の人間として、一言お書きになられたらしい。
感覚の断絶?
これはいわゆる「通り」(福島県内の地区分)が違うだけなのか、それとも年上の世代と全然交流していないのか。(記事の10年前当時は、bluesidus氏は子供だったでしょう)

思うに、「負けたほうが岩に刻み込んでしまう怨念」は、時を経て徐々にやわらげられて和解していくのではなく、どこかの時点で時代の変化が怨念の再生産を壊してしまい、特定の世代以降、「え、何のこと?」「なんで今さらそんなこと」になってしまう…、そんなパターンなのかなとも思わせられます。
いや、単に同じ福島でも地方が違うので知らないだけだ、かもしれませんが。

投稿: 雨崎良未 | 2007.09.17 11:13

 色々お騒がせしました。歴史認識における世代間あるいはそれ以上の差について、思い出すことがあります。パレスチナ問題について、複数の英国人(アングロサクソン)と20年以上前に議論したことがありますが、「MacMahorn Declaration」を知っているかと問い、知っていると答えた英国人とは、それ以前からの英国の侵略の歴史を反復し、知らないと答えた人間には、それ以上議論をしませんでした。
 つまり、歴史認識とはこのようなものです。残念ながら、同じ風景を見てもそこに何を読み取るかは、個々人の力量と言わざるをえません。私が福島の県土を見て回った30年前、戦前からの地主、小作人の位置関係が明確に見て取れました。
 しかし、同じく回った者でも、見えない者は見えないのです。目に見えぬものを見るという精神を、これからも伝えていきたいと思います。

投稿: 松平容保 | 2007.09.17 20:22

「見えぬものを見る」には危うさがつきまといます。ご無事を祈ります。
うちは「見えるものが違いうる」という点を強調する方向で動いています。なにより「見えるものが違いうる」ことを、はなから察知できない層が増えてきていると感じるがゆえ。
「見えるものが違いうる」ことを味わい楽しみたいと考えます。

かわいそうなbluesidus氏は、書き逃げなのかな。

投稿: 雨崎良未 | 2007.09.17 21:25

・こどものころ白虎隊の本を読んで、別に長州嫌いではない20代です。
・自分のとこは被害ない地域っぽかったです。

・今でも恨みが残っている事実にはビックリですが、このブログをしょっちゅう拝見させて頂いてる自分のようなやつがそれに驚いてしまうのにはビックリしないといけないのかもしれません。
同じ日本だからという意識がつい働いてしまいますが、とにかく戦争だったわけですから、遺恨が百年以上残るのは当たり前な気がします。戊申戦争後も長いこと冷遇されたようですし、和解の機会もなかったことでしょう。
・会津の市長が何か言ったとかいうのは、政治家がよく右翼にリップサービスしたりするのと同じようなものかもしれません。鼻息荒い人はどこにでもいますし。

・福島の三地方はやはり別物な気がします。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C
郡山は新幹線ですぐ東京いけていいなとか、浜通りは県庁があって温暖でいいなとか思います。行き来するのが大変なので人的交流も少なく、親戚が他の地方にいるということもあまりないような。ぶっちゃけ用がないのであまり他のとこに行ったこと無い(笑)

・地方における都会志向論争は、いろんな地方でよく見られるもののようです。決して福島固有の現象ではありません。都会に中途半端に近いところでは普通の現象のようです。
例:http://turkai.exblog.jp/4172476/

投稿: 会津の人 | 2007.11.24 01:56

不思議ですよね、そんな三地方が、県境設定のおかげでヨソから見れば「同じ福島」とひとくくりにされてしまう。

ナイトスクープの「枚方(ひらかた)vs寝屋川(ねやがわ)」は面白いデータですね。
よく考えれば、小学校の校区内でも対抗意識ぶつけあっていたような気がする。地区子供会の東豊中vs上野台とかw

あと、自分的には不思議なのがスポーツチームの応援。巨人ファンvs阪神ファンとか。
環境の影響以上に、自分をどこに帰属させるか、そういうセッティングが自分の行動に大きく作用してしまうタイプの人と、そうでもない人、も明らかにあるような気がします。

イモヅルしていくといろいろ面白いのです。

投稿: amasaki | 2007.11.24 09:29

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