時代の不幸・時代のくびき
今何をすると、それは良いことなんだろうか。
善意と正義感に燃えて邁進しても、何かをなしても、時代が変わったら・価値観が変わったら・異文化が入ってきたら、クソミソにけなされる。
時代を変える私たちが、そのまま自分たちをおとしめる未来を呼び込んでいる。
ぼくらは良い子じゃない。
良い子をめざしても、俺らは良い子になれる保証なんかない。だってぼくらはすでに次々と良い子になろうとした過去を貶めている。今も未来も保証無しの自分。
そんな時代にいないか?

進化心理学を援用して現世をなげき、アドバイスを下さるおじさんおばさんがいる。
彼らはこの移ろい変わる価値基準の中、「人間性質」を把握することで、のちの世代にも普遍的に「良いことだ」と思われる何かを得られるとはったりをかけているのだろうか。
探っていくと不変なる「善」を掴み出せるという夢。
過去を引き合いに出して、過去を参照して、今の世の人々に訓をたれる人がよくやるパターン。
過去様々な文化・社会・習俗があった中、自分の趣味と主義主張に最も近そうな特定の時代・文化だけを都合よく強調して、ああしろこうしろさもないと、とやる説教。
そのこじつけが見え透いていると、かなり見苦しい。

文化習俗や価値観はうつろう。
生物は、普通に過去になかった環境に晒され、普通に絶滅も変化もする。
良し悪し、勝ち負けを云々する者は何かと自分を同一視してしまっている。
特定の時代、特定の立場、特定の…
その中、自分の趣味に最も合う文化習俗を「これが見本だ本来だ」として他者に押し付ける人々。
これは年寄りだけじゃない。若造にもいる。異文化(異世代)をくそみそ呼ばわりしている輩。
…近頃の 正高氏は、たぶん昔からある年寄りの繰り言の一変種どまりに見える。なんかじじむさい。
言いたいことはわからないでもないが、異なる文化環境で育ってきた次世代連中の自己正当化は、あの程度の繰り言では変わりはしないし。
次世代文化に縁遠いじじばばの共感は呼ぶかもしれないが。
「同世代に対して、理解しづらい異世代をどう解釈すればいいか指南している」だけなのかな。
次世代(異文化)の彼らは彼らなりに、違う文化と価値観の中でそれなりに苦しんで行くんだろう。かつての世代が別の価値観の中で失敗し苦しんできたように。

…オトコにこだわりを見せる 山極寿一 氏。
自分の好みに収斂(しゅうれん)するように世間を誘導しようとだだをこねる正高氏とは対照的に、多文化多様性や相互尊重を希求する発言をしている。
自分に疑いなんかないぞとでもいいたげな正高氏とは対照的に、自分の「オトコ」性とその位置をどうおちつかせればいいのかうろうろ逡巡し続け…まだ彷徨しているのかな。
山極寿一著 「オトコの進化論」
p.225
現代の人々は歴史と断絶させられ、根拠を失って暴走しようとする自分の心と身体をもてあまし始めている。とくにそれは男たちで著しい。今まで男優位の社会や文化に暮らしてきた男たちは、自らの行為を正当とする説明を常に求められるようになったからである。もはや安易に伝統に頼ることはできない。
p.229
現代の要請は、多様な人びとと多様な価値を認められる社会をつくるということである。これはなかなかにむずかしい。
進化心理学や霊長類学に従事する者が他者に語る言葉。
ここには、それら進化心理学や霊長類学を通して、人間は絶対的な良い子たりうる何か基準をえられるのではないか、そんな夢見が混じっているのかもしれない。
絶対善を求める、そんな夢見。
でも、その言葉は同世代への共感要求でしかなかったりしてないか。
正高氏も山極氏も、次世代の価値観に呼応する何かを打ち出せているだろうか。
何か普遍的な善を打ち出せているだろうか、それは理解させられるだろうか。
私は、「そこへ戻れ」コールよりは、「人間の多様性と可能性に見合った多様性尊重の文化環境を醸成しろ」派。
多様性がなければ、一つの基準に収斂してしまえば、そこにおさまらない性質の人間ははじき落とされる。
多様性がなければ、自分が何に染まっているかというおのれのキャパの狭さを見出す鏡がなくなってしまう。
自分を照らす他者が必要、異質な何かがいてくれないと、自分は成立しない。
「特殊な出自と特殊な役割」
マルチチュードで行こう。
画一化をめざすな。
ただし。
古来の適応的な環境・習俗への回帰を喧伝するか、多文化多様性の尊重に向かうか。
それらさえも。
この特定の時代の影響下で生じた知恵熱にすぎないのかもしれないのだけれど。
赤土の関東ローム層より下に人間の痕跡などあるはずがない。赤土が出てきた時点で発掘を打ち切るのが常識だったし、岩宿の赤土から出てきた石器などまともに考慮するほうがおかしかった。:それが常識の時代だったのに。
( 日本人の起源とその反省 )
動物は「種にとっての利益」を第一に進化してきたのだから、同種の子を大人が殺して回るなどありえない。子殺し行動は「異常例」、異常な例をまじめに考察する必要などない。:そのはずだったのに。
(桑村哲生著 「性転換する魚たち」岩波新書 p.85)
主も従も、互いに家族同様に支え合い、老いても面倒をみる、「日本の美風」として成立していた奉公制度。お仕えすることに誇りを感じ、人生を全うする道として成立していた女中という生き方。:みなその価値を共有していたのに、なんで後世のおのが子孫に封建的だ屈辱だだのとののしられなければならないのか。
( 女中イメージの家庭文化史 )
自分たちの世界の中で、正しく清くまっとうな女性になるための大切な儀式、それがなぜヨソの国から野蛮で差別的な行為だと決めつけられなければならないのか。
( 女子割礼をはらむ意味物語 )
自分の中の整合性を保つために、ぜひとも性転換に成功してもらいたかったし性転換に成功するはずだったのだ、その尽力が、正しい行為が、どうして周囲からにんぴにん呼ばわりされるようなことになってしまうのか。
( ブレンダと呼ばれた少年 )
放射能を飲めば、うまくすれば超人になれるかもしれない、ダメでも放射能を浴びることがお国のためなんだ。:そんな時代だったし今もそう思っている人々が少なからずいるんだろう。
( プルトニウムファイル )
失った血液は補充すれば生き返るんじゃないか。アメリカではとうに輸血の研究が進み、献血運動まで盛んに行われていたのに、第二次大戦中に血液型もわからぬまま輸血したり人間の体に馬の血をそそぎ込んだりして死人を出していた日本の軍医さんたち。
( ダグラス・スター著「血液の物語」 河出書房新社)
伝言ゲームと役職遂行の中、これが使命であり最善の方法・良い行いだと信じ込み、拷問や虐待をエスカレートさせていくアブグレイブ刑務所や es[エス]。
( Anthropology at Abu Ghraib )
先人の知恵と伝統を重んじ、おのが身をわきまえるのがしごくまっとうに良い行いだったのに、異文化の流入で、過去を蔑み未来ばかりをもてはやし、古いものを不当評価して新しいモノを過大評価する、そんな豹変をしてしまった日本の人々。
( 日本人の健康執着と身体観の大転換 )
時代の不幸。 時代のくびき。
その時代の善は のちの善とはかぎらない。
俺は極悪人。
穢のかたまり。
にんぴにん。
不要な人間だし、インモラルも数々と。
だ か ら。
良い子ではないゆえに。
良い子に対して語るとき「〜したいと思うのであれば」という言い回しを多用する。
俺は利己的にふるまっているだけ。
いいこぶっているのだと誤解されるのは不本意なのだった。
ところで。
医学史・科学史的な悲惨な事例はアメリカで目立つような気がするけれど、これはアメリカが
よかれあしかれやれることはやる、隠蔽しない
からかもなと思ってみたり。
やれることはやってしまうし、何をやったか調べて反省もする。
What can be done will be done.
日本含むヨソの国だと、あそこまでがっちり開帳しましょうみたいなあばきも反省も、やれてはいないんじゃないかと。
アメリカ以上に、ばしばしひどいことが知られぬままにやられちゃってるんじゃないかと。
戦犯、人体実験、ハンセン氏病、強制堕胎、障害者虐待、搾取・人災の積み重ね…
柴谷篤弘 「われらが内なる隠蔽」
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