特殊な出自と特殊な役割
あなたは誰ですか、どういう人ですか、と問われてどう答えるか。
名前。性別。職業。出身地。年齢。趣味。身長。血液型。人種。学歴。病歴。
自分の中で優先順位はどうなっているか。
どれであることを一番大事に感じているか。
どれであることを一番自然に感じているか。
たとえば最初から自分が**であることに疑問を持たず、**であることを誇りにさえ感じている場合、**を変えよう、隠そうとはふつう思わない。
**が周囲に何か悪い影響を与えていても、それを正そうという気はあまり起こらない。
**以外の在り方について**ほどに深く考えてみることも少ないだろう。
「**」に名前でも性別でも職業でも人種でも学歴でも入れてみよう
変な職業だったら。変な名前だったら。変な学歴だったら。変な性別だったら。変な病気だったら。変な血液型だったら。
どれであったら一番大変だと思うのか。
自分が、世間から見て変な存在であった場合、特殊な存在だった場合、人間はその特殊さを、特殊な役割を担うことによって正当化しようとすることがある。
これは本人がやることもあれば、周囲が勝手に押し付けることもある。
目立つものには目立つ意味が付与される。
なぜ自分が。なぜアレが。
感情的(好悪・忌避含む)に強い影響をもたらすものには往々にして強い意味が求められる。
なぜこの子に。なぜここに。
古来、非凡な存在になった者には、非凡な出自が与えられてきた。
感情を揺さぶる象徴には、荒(あら)ぶる強い意味(暴力、聖、穢、呪…)が張り付く。
きちんとふつうのカテゴリーにあてはまるものは、ふつうに強い力(意味)を持つことは少ない。
何かのカテゴリーの端境(はざかい)にあるもの、カテゴリーにうまくあてはまらないものは、強い力(暴力、聖、穢、呪…)を帯びやすい。
特殊な出自は特殊な役割で補填(ほてん)される。
特殊な役割は特殊な出自を持たされる。
異類婚姻から生まれた安倍晴明(あべのせいめい)。
処女懐胎で生まれたナザレのイエス。
カテゴリーをぶち破る奇怪な生き物センザンコウ。
インセスト行動を伴いがちな神々の出自。
感情を揺さぶる象徴は、共同体の中で「特殊なシンボルセット」として流通する。
その仕組みが現代で動作すると、 アシュリー や、 ブレンダと呼ばれた少年 のような形としてもてはやされるのか。
彼らが「特殊なシンボル」として流通するのは、彼らが特殊であること以前に、自分たち(特殊でない側)が彼らの有り様を受け入れていないからこそである。
飯島吉晴著 「一つ目小僧と瓢箪:性と犠牲のフォークロア」新曜社 2001年
「不具・畸型・暴力・死に照らしてはじめて、健全な「市民社会」はようやく自立できるにすぎない。」(by 今村仁司)
マトモな**は、まともでない何かを虐げた上にすまし顔で鎮座している。
善良なふつうの市民であること自体が、すでに何かを虐げて成り立っているのではないか。
善良なふつうの女性であること自体が、すでに何かを虐げて成り立っているのではないか。
善良なふつうの学者であること自体が、すでに何かを虐げて成り立っているのではないか。
女を虐げてはじめて成り立つような男観を持つ者は言うまでもなく。
男を目の敵にする女は、男でも女でもないものの存在をさらに虐げていることがある。
LDの待遇改善にいそしむ関係者は、それ以外の症例を排除忌避していることがある。
かつて沖縄の待遇改善に奔走していた人々は「アイヌなんかと自分たちをいっしょにするな」と主張していた。
あとなんかあったかな。なんか並べようと思ってたけどど忘れした。
名前。性別。職業。出身地。年齢。趣味。身長。血液型。人種。学歴。病歴。
自分の中で優先順位はどうなっているか。
そのアイデンティティが、それ自体が、誰かをしいたげてはいないか。
小松和彦「簑着て笠着て来る者は - もう一つの「まれびと」論に向けて」
(所収:小松和彦編 「これは「民俗学」ではない:新時代民俗学の可能性」福武書店 1989年)
p.188
鬼とは、実は人間という存在を規定するために造形されたものだということがわかってくる。日本人は、個としての人間の反対物として鬼を想定し、人間社会の反対物として鬼の社会を想定し、そうした反対物を介して、人間という概念を、人間社会という概念を手に入れたわけである。このために、人びとは人間社会の「外部」に棲むという鬼についての数多くのストーリーをつむぎ出してきたのだった。
鬼とはまず恐ろしい姿かたちをした、したがって忌避し排除すべき存在であった。しかしながら、人間にとって必要な存在でもあった。鬼がいなければ人間という概念が成り立たないからだ。それゆえに、人びとは絶えず鬼を人間社会に登場させ、そして社会から排除したのだ。
光あるところに影ってわけじゃないけれども、どこまでふだん自分を疑えるか。
その感情が「かわいそう」「大変だね」「救ってあげたいね」であっても、相手がその感情を拒否していなくても、実際そこには「マトモな自分の側のものではない相手」という観点がぐっしょりと妖怪のようにへばり付いている。
古来、河原者やeta,hininを必要としてきた日本社会文化のナニカ、穢な存在があってこそ成り立っていた庶民の世界、穢れ観、ここがあるかないか、これが アメリカではホームレスキャラが表舞台で活躍し、日本ではその存在をオモテに出すことさえ憚られる忌避対象になる、その差の原因の一つではないかと。
誰も言ってくんないので自己レス。
アノマリーな特殊な存在である者、はざかい者は、カテゴリーのアチラとコチラを仲介して、分断対立をやわらげたり、硬直した関係を循環させ、次へと回転し物事を再生させていったりする力を駆使できる。
トリックスターの誕生。
人間社会は常にトリックスターを必要としている。
が、トリックスターになることができるものは多くはない。
トリックスターとして許容されるポジションの数も限られている。
トリックスターになれなければ、ただのケガレの塊にされて意味体系から排除されるだけ。
サヴァン以外の自閉症には存在価値を見いだせない、使えなければホームレスには用はない、才能があっても五体不満足な者に与えられるポスト数は限られている…。
ひいては、最近はメディア上のトリックスターの位置までもを「なんちゃってはざかい者」が占めていることが少なくない。「懐柔された異端者」。
文化撹乱で「はざかい」自体があいまいになってきているのか、それとも…。
へぇボタン:へぇ〜
と押してみるもよし
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