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2005.02.28

「なぜ」から学ぶ看護の倫理学

 氷山の一角ばかり集めても水面下のことはわかんないでしょ。
 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)の花ばかり集めても、根茎や葉のことはわかんないよね。

表紙
改訂版『「なぜ」から学ぶ生命倫理学』

 松川俊夫著
 できるナース・ブック
 医学芸術社 2004/09(旧版2000年)

 お手軽にわかりやすい生命倫理入門の書。
 看護師さんが読むことを前提に書かれているけれど、十分一般人向けに仕上がっている。
 前提情報を添え、簡単な設問を見せ、自分ならどうするか考えさせる。
 旧版は2000年。添えてあるイラストはその当時のままなのかな、看護師さんがほとんど女性。oyaoya

 ただ、入門書である以上に、なんかどっか軽いものを感じるのは気のせいだろうか。

「「なぜ」から学ぶ生命倫理学」  p.45
 本章で扱った「ケア重視の医療」や「患者のQOL重視の医療」(この2つは重なり合う)を行うにあたって、医療従事者に求められることは次のことである。医療従事者は、患者の気持ちを理解しなくてはならない。これは、あたりまえのことのようで難しい。人間は義務だからといって、そう簡単に他人の気持ちなど理解できないのである。本書で取り扱っている「生命倫理学の原則」のような倫理規則を守ることは、努力すれば、だれにでもできる。
 それに対して、人の気持ちを理解することは、一種の能力であり、そのような能力が十分に備わっていない人に、「他人の気持ちを理解せよ」と言っても無駄である。

 うわ、言い切っていいんかい、みたいなアセリ。
 この言いきりのあとに「医療従事者は、患者をケアする能力を、自発的に育成していかなくてはならない」患者の気持ちを理解し苦しみを分かち合える能力を育成することも大事ではないかなどの旨さらっと簡単に述べてすませているけれど。
 ここが一番深いんじゃないのか? ちがうかな。
 看護師向けに書かれた書物だし。
 人の気持ちを理解する能力が十分に備わっていない看護師(および医師)は業務上「患者の気持ちを理解し苦しみを分かち合えるようになろう」と努力するだけでその能力は身に付くのか? いっそ、その能力が身に付きそうもない人間は、いや将来つくとしても現段階で不十分な人間は医療業務に従事するな、とは言ってくれないのか。 技術さえあるならそこはあとまわし二の次でいいのか。

治療方針、患者8割「選択肢ない」 医師と意識に差
 患者に選択肢を示して十分理解されていると思っている医者は9割
2005/02 ▲日本語記事 asahi.com

 患者は、自分が持っていた規範からはずれたと感じて、医者を訪れる。その規範は、医療側が持つ規範とは異なることがある。
 が、医療側は、患者の苦しみは、医療側の規範(例えば健康)からはずれているために生じているのだと一括してみなしがち。
 患者は、医療側の世界観・価値観を一方的に(不本意であっても)尊重するような位置関係に置かれることが少なくない。
 当該書では、「エホバの証人(輸血拒否)」を例に挙げて「生命倫理学の原則」は”愚行をする権利”つまり愚行権を認めている (p.25)とも記してはいるが、単にそれは特別な例外で考慮対象外なのか、全体的に複数の価値観のふまえと尊重ははっきり見えてこない。
 看護師向けだからかな。いろいろな意見がありうるのだと述べながらも、すでに医療業の規範に従う者として、看護師職にあるものとして、とるべき単一の価値観を前提にして記されている感じがぬぐえない。

「「なぜ」から学ぶ生命倫理学」  p.118
 看護師としてやっていきたいのなら、(3)を選ぶほかない。この場合、医療を拒否することは、医療従事者であることを拒否することと同じである。自分の命を危険にさらすのがイヤなら、もっと安全な職(例、倫理学者)を選ぶべきだ。
(3=エボラなどの死病相手であっても忌避せず決死の覚悟で看護にあたる)

 職を選んだ時点で、特定の価値観を受け入れざるをえないような仕組みに組み入れられている。
 看護師だけじゃないし。
 医者にも一般人みたいに複数の価値観のふまえと尊重がすっぽ抜けている人はいる。
 どんな声がある、どんな意見がある、どんな要望がある、それら表面だけを見ようとしている者はふつうにあるが、それがどんな世界観・意味世界から発しているものなのか、そこまで見ようとしているものは少ない。アンケートで数字だけ出して、インタビューはしない生の声は聞かない、そんな感じ?
 この本は見てない。
 構造を見てない、表面しか見てない。異世界を見てない。
 (これは世界観や意味世界まで含めて扱う医療人類学のほうがずっと面白いじゃんと思う者からの感想)
    →「物語というプラシーボと人生」

 もひとつ。
 引く例が現場より書物が多いところも、軽さを醸(かも)しているのか。
 現場より書物(机上)ってのが、いかにも「哲学者でござい」なところなのかな。
 このような医療倫理の本で、唐沢俊一殿を複数箇所で論拠にひきだすってのもなんか違和感で。そういう趣味の著者なのかな。妥当性云々以前に、ちょっと(軽いという意味で)「と」の香り。

 入門には、良い本でございます。
 身近に深く考えられる設問がいくつも用意されていて、各自、自分なりに考えられる。
 こんなのはどうでしょう。

表紙
 ●産まれてもすぐ死ぬ障害を持つ子を妊娠した
   ・おろすか
   ・産んで死ぬのを待つか
   ・積極的に治療を尽くすか
   ・死なせて臓器を研究に提供するか
 ●積極的安楽死を望む死病の末期患者
   ・積極的安楽死に賛成するか
   ・せめて消極的安楽死にするよう説得するか
   ・死ぬなど言うなと泣きつくか
 ●子どもの人体実験の是非
 ●呪術師による治療を許容するか
 ●わがままな患者はどうあしらう
 ●患者に対して許される嘘はどの範囲

 万一のときのための心構えになり、世間話のタネになり、出題の仕方の参考にもなり、見ておいて損はないでしょう。


へぇボタン:へぇ〜 と押してみるもよし

情報庫: 医療  生命倫理

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