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2005.03.30

「右」と「左」の区別がない世界

 もし人間が「右」と「左」の区別がない世界に生まれたら、それってややこしいだろうか。


左◆表紙
「もし「右」や「左」がなかったら
 言語人類学への招待」

 井上京子著
 大修館書店(ドルフィン・ブックス) 1998年
  [ Amazon ] [bk1]

 「空間が歪んでいるぞっ!」とかそういう話ではなくて、我々がふだん当たり前にやりとりしている物の区別の仕方・区切り方が、文化によって社会によって違っているよと。

挿画

 いかんせんこの本は前世紀の内容になるので、なんぼか古いし話も浅め。
 でもそのぶん(?)とっつきやすい「へぇ〜」ネタがいろいろつまめて良さげな本になっている。

「もし「右」や「左」がなかったら」 p.7
人間の身の回りの空間を切り分けることばにはどんな表現があるのか、それはどのようなパターンに分類できるのか、それぞれのパターンを用いる言語はお互いに共通点があるのだろうか、人間の認知構造がワンパターンでないとしたら、それは言語の影響によるのか、それとも言語以外の何か別の要因、例えば文化的要因が背景にあるのだろうか

 で、調べてみると……

右画
 メキシコ・マヤのテネハパ族には「左」と「右」にあたる言葉がない!
 山の斜面に暮らしているので空間把握がすべからく斜面基準
 オーストラリア先住民族のグウグ・イミディール語は、物の位置関係が前後左右じゃなくて、全部「東西南北」の方角で表現しちゃう!

 ほかにも左右の区別がない言語は
  トロブリアンド諸島のキリヴィラ語
  マヤ語族のモパン語、トトナック語(メキシコ)
 これらの文化圏で育った場合、「鏡像」の区別をつける習慣がない関係で、記号の判別が苦手になる気配も。

 方位感覚に強く依存している民族は、たしかインドネシアやフィリピンあたりにもあったと思う。方角がわからなくなると極度の不安に襲われてしまうという。
 この人々は空間把握がキャラ中心視点ではないので、バイオハザードとかはるかにあせるんじゃないだろか。ase

画 なお、この本、方角把握のからみで、「日本古来の方角感覚」と銘打って方忌み(方角の吉兆を重んじる習俗)を例に挙げているが、この方忌みは日本古来と言うよりは大陸渡来の異境の習俗だと思うんだが。
 「日本古来の空間把握」を云々するのであれば、認知考古学を見たほうが早いと思う。
  → 「認知考古学のお通りだ」

 それはそれとして、この本、これら「我々とは違う」空間把握を紹介し、異文化の彼らにテストをほどこして「我々の把握とは違うので、こんなふうに混乱してしまうことがあるんだよ」と述べてはくれるが、
  「彼らは我々が把握できない何を見ているのだろうか」
  「我々の意味空間とはどう違う世界なのか」

という視点は出てこない。
 そこが内容をすごく浅く感じさせている要因か。

右画
 日本で言えば、右には上、左には下という価値概念が潜んでいたりする。
 左は女、上は聖、前は未来、後ろは守り、そんなこんなのさまざまな意味が空間の各所にこめられている。
 それらとヨソの文化は、どう空間的世界観が違うのか。
 「もし「右」や「左」がなかったら」では、言及は「言語人類学」の範囲にとどまっていて、その文化の世界観にまでは踏み込んでくれてない。
 それだけ空間把握が違ったら、世界観の違いについてもそーとー面白い話ができるだろうに。

 空間と世界観。
 日本の縄文時代以前の世界でも、埋葬の形から当時の世界観が推察できている。
 被葬者の周りに、位置ごとに決まった品々が配置されている。
    → 「認知考古学のお通りだ」
 その埋葬のさまを見ただけで、過去その世界に左右の区別があった以上に、空間の位置にどういう意味が与えられどんな世界観を形成していたか、までが、はるかな時代を越えてかいま見えてしまう。

 「左右」には、ある程度人類共通に意味がほどこされるのではないかという推察はかねてよりある。心臓が左にある関係で右利きが多いんじゃないか、右に敵を置くと有利だったことが文化にも影響しただろうとか、左に子どもを抱いたほうが脳機能局在上刷り込みやすかった関係もあるだろう、とか。
 でも、「そもそも左右の区別がない文化」があるじゃん!てことになった。
 実際に人類共通の傾向が存在しているかどうか検証するには、「そもそも左右の区別がないじゃないか!」をはじめとする「あたりまえじゃない」文化の実例を、できるだけ多く取り上げ保存しておくしかない。

 ほかならぬ我々、人類自身のことなのに、研究は全然進んでいるとは言い難い。
 つい先日も「前が未来だというのは『あたりまえ』じゃなかったのか!」と学者を驚かす例が報告されているようなありさまで。

過去が前方にあり、未来は後ろにある
 そんな時間観の文化も世の中にはあり@南米アイマラ族
2005/02 Guardian How time flies

 アンデスの高地に棲むアイマラの人々の会話では、前にあるのが過去であって、後ろにあるのが未来なのだと。
 祖先は目の前にいる。
 明日は自分の後ろにある。
 未来の子孫に伝承する動作は「後ろに投げる」。
 彼らには、
   「過去は記憶や伝承にある=見える位置にある」
   「未来は記憶にない=見えない=うしろにある」

なのかもしれない。

 世界にあまたある文化や言語の大半は、いまだに研究も記録もされずにすたれるままに放置されてしまっている。
 まだまだ「こんな世界観もアリだったのか!」と驚くような例がふんだんにあるだろうのに、我々人類の可能性の実例の大半は、グローバリズムから無視され足蹴にされたたまま、どんどん絶滅していってる。
  → 「言語消滅=思考の画一貧弱化」

 我々はどんな思考に縛られているのか。
 我々は、今どんな価値観にからみとられ、どんな価値観の可能性と接触できなくなってしまってるんだろうか。

 アメリカは仁王立ちで「アメリカの価値観に合わせてもらう」と世界に向かって要求している。


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●情報庫: 文化人類学 言語  認知科学 日本の考古学



メタル


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» ■「前後」、「左右」ときどき「上下」 [it1127の日記 ]
 って、セックスの話じゃなくて。どんな人間も、たいがい前向いて歩きます。まぁ、一 [続きを読む]

受信: 2005.11.12 11:13

コメント

この人々は空間把握がキャラ中心視点ではないので、バイオハザードとかはるかにあせるんじゃないだろか。

↑ドラクエは得意とみた

投稿 いれ | 2005.05.12 00:06

我が家にはドラクエで毎度「西ってどっちだ?右?」と尋ねる上に右と左までたびたび間違って苦労していた困ったさんがおりました。(^_^)
この困ったさんはバイオハザードは得意だったなぁ。

投稿 雨崎良未 | 2005.05.13 09:27

はじめまして。いつも貴サイト拝見させていただいてます。情報量が豊富で重宝してます^_^;
「認知考古学」って言葉、ここで初めて知りました。面白そうな分野ですね^_^;

投稿 it1127 | 2005.11.12 11:04

どもども。
認知考古学関係の本はまだ世間には少ないんでしょうか。
認知科学と異文化、なら個人的には福井勝義著 「認識と文化:色と模様の民俗誌」がお気に入りだったりします。
ところで、そのURLはWindowsユーザ向け…?

投稿 雨崎良未@Macintosh | 2005.11.12 11:26

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