金魚にゃやっぱり歯があった

『縄文人の世界』読んでて、なぜか一番「おおーっ!」と思ってしまったのが、金魚の歯。
うちの巨大金魚が、「バリバリガリガリゴリゴリ」とはでな音をさせながら餌食ってるんで、こんな咀嚼(そしゃく)音をさせる歯はこの魚のいったいどこにあるんじゃい、とかねてより不思議だった。
「縄文時代についての本」がその疑問を解消してくださるとは。
『縄文人の世界』の中で、中島経夫氏(滋賀県立琵琶湖博物館総括学芸員)が「自然環境と文化のかかわり 縄文から現代へ」と題して
コイ科の魚の咽頭歯(いんとうし)
にまつわる研究成果を披露して下さっている。
咽頭歯。
そうか、金魚にはノドに一組ごつい歯がそなわっているんかぁ。
だから、なんもなさそうなぽっかりした口をしているのに、メダカを半分食いちぎって吐く、なんて芸当をしてしまえるわけだ、うちの巨大金魚は。
中島経夫氏の研究はウェブでもしっかり紹介されている。
その名も
「中島経夫の世界」 ときたもんだ。
中島経夫の咽頭歯の世界へようこそ!
中島経夫の世界=咽頭歯の世界。
熱意と面白さが伝わる良いサイト。
おサカナの歯、まっしぐらなんですね。
あ、すごい、この先生、 コルバートの「脊椎動物の進化」翻訳にもたずさわってる!
「いんとうし」をワープロで変換すると「淫蕩し」になります.
…先生っ、そういう話は敢えてお書きにならなくても…。
コイ科のサカナ、この咽頭歯の形が種類ごとに全部違うのだそうだ。
ドジョウ、ウグイ、ハヤ、アオウオ、ソウギョ、フナ……
出土する咽頭歯の形状を調べていくと、どの種類がいて、どれがいなかったか、コイ科のサカナの進化経路から分布から、さらには古代に食われていた魚種の変遷までがわかってしまうと。
ものすごくいろいろな形をした咽頭歯が紹介されているけれど、金魚オーナーとしては「実際どのようにこれが金魚の中に収まってどのように噛み合わさるのか見てみたい」のに、そこまでは示して下さってないのでちょいと欲求不満。
p.359
エラの骨が変形した咽頭骨の上に咽頭歯が生えています。機能も構造も普通の歯と変わりがありません。このコイ科の咽頭歯というのは、非常に便利なものでして、種類によって形が違う、形だけでなく、歯の配列の仕方、生えている本数が種類によって違っています。したがって、地層の中や遺跡から、咽頭骨に付いている状態で咽頭歯が見つかると、「この歯の持ち主はだれか」すぐに鑑別ができるわけです。場合によっては単独の一本の歯だけからも種類が鑑別できます。
その関係で「縄文時代」の本にも咽頭歯調査でわかる古代日本についてを語るために登場なさった。
遺跡や湖底の土をふるいにかけ、それこそ顕微鏡サイズのちいさな咽頭歯まで拾い出しては、「この咽頭歯の持ち主はこのサカナだ!」と調査推理して行くわけで。
この先生のフィールドは琵琶湖。
人間が列島に来るはるか前の時代からの、琵琶湖の変遷がわかる。
p.366
粟津貝塚の分析結果から、産卵期の魚を捕っていたことがわかります。琵琶湖の沖合でフナを捕ることなど現代でもできません。効率の悪いことをする必要はないわけで、コイ科の魚の多くは、必ず雨季つまり梅雨時の降雨後に産卵にやってきます。とくにフナなんかはそうです。昭和の初めごろ、三〇年代ぐらいまではフナが島を作る、イオ島といいます。フナズシにするニゴロブナのことを琵琶湖ではイオといいますが、その「イオ島」が来る。つまり島のように魚が盛り上がって産卵にやってくるわけです。その産卵期のフナというのは、簡単にしかも大量に捕れます。縄文時代なら、おそらく消費する量をはるかに上回っていたと思います。それを保存加工していたのではないかというアイデアが浮かんでくるわけです。
縄文時代の人々は、産卵期のサカナを捕まえて食べていた。
ふむ。
うちの近所の公園に、ばかでかいフナだかコイだかがたくさん棲んでいる沼(池?)があるのだけれど、春になるとそいつら浅瀬でばっちゃばっちゃと巨大な魚体を組んずほぐれつさせながら交尾なさる。けっこうなド迫力。
あまりに夢中でくんずほぐれつなさっているので、ほんとに手でつかんで持って帰れそうな。(ただしかなり腕力はいるな、あのボリュームでは)
古代のゴミ捨て場を調べてみると、海の魚のほうがおいしいであろうのに、実際海の近くに住んでいても、縄文の人々は淡水魚のほうをたくさん食べていたらしいことが見えてくる。
それは産卵期の獲れやすさと、保存食としての利点が、大きく影響しているのだろうとみなされる。
p.368-369
西日本の縄文文化がコイ科魚類を対象とする淡水漁撈を大切な生業としていて、それをあてにした定住生活が営まれていたのではないでしょうか。
定住生活は、農業ではなく、かように湖や池の魚をアテにして行われることもあったろうという推察。
咽頭歯調査から見えてくる西日本古代の「低湿地文化」。
ひいては、それらの縄文集落は湖や池の近所、低湿な場所にあったがために、朽ちたりやたら深く埋まったりで遺跡は発見されにくくなっているのではないか。
そのぶん、西日本の縄文人口見積もりは少なすぎていたりはしないのか、と指摘する。
いろいろ面白いです。
書籍で見かけた情報が、さらにウェブ上で紹介更新されていくのかな、そこもけっこうわくわくです。
「中島経夫の世界」、先生、さらなる更新のほどよろしくお願いします!
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