縄文人の世界、土偶の死体
古代の人々の思考はどのようなものだったか、推し量る学問は…非科学的な分野だとみなされるんだろうか。
アーキタイプ(原型)やマナ(超自然的な力に関する概念)、トーテム(自然界の特定の存在とのつながり)の話をすると「そんな非科学的な話」と一蹴(いっしゅう)されることがある。
古代の人々が行っていた葬送習俗を、単なる無知蒙昧(むちもうまい)な形式因習だとしかみなせない人々もいる。
死霊や異神が本来持っていた恐ろしさを実感するには、…ほど遠い現代なのかな。
でも、そんな”非科学的”なことどもを研究している分野の専門家が、今あなたがたの上に立って「日本の心」を云々(うんぬん)なされる地位にましましているという事実。
心めぐる課題を討議、有識者16人「フォーラム」発足
2005/04 【日本語記事】 読売
古代の思考とその周辺を、ゆめゆめあなどることなかれ。
『縄文人の世界 日本人の原像を求めて』
梅原猛編
角川学芸出版 / 角川書店 2004/03
西洋の「God / ゴッド」とはあまりにも内実が違いすぎる日本の「神」概念。
神は強大な障(さわ)りをもたらす力、怖ろしい存在。
死者の霊も怖ろしい災厄をもたらす力を備えている。
特に異常な形の死を迎えた者は、残された生者から大変な労力を持って遇され、鎮(しず)まってくれよと願われる。
●土偶には異様な形相で腹の大きなモノが多い。
しかも帝王切開のような線刻が腹に刻まれており、なおかつ破壊された形で出土する。
これは「妊婦の死体」を表現しているのではないか。
妊婦の死体はいったん埋葬されてからすぐ掘り出され、腹を割いて取り出した胎児を抱かせて葬りなおす。そうしないと、妊婦も胎児もとどこおりなく黄泉の国に行くことができなくなってしまう。
〜梅原猛「縄文時代の世界観」 所収『縄文人の世界』
発売中の 「Burst」にインド洋大津波被災者の死体生写真がたくさん掲載されていた。
こってり赤黒く膨らんで体液が滲出している土左衛門たち。
ぱんぱんに腫れ上がり、膨張した唇と舌をさらけ出している丸く開いた口。
…たしかに、「土偶」に通じる容貌をしている、といえばいえるかも…。
縄文遺跡で出土するのは「死体の人形(ひとがた)」だということなのか。
妊娠中の死、お産直前の死は、人間が「身二つ」のままで死ぬという、古代の世界観からすれば最も怖ろしい死にざまの一つ。
ひととおりの葬礼だけでは生者が死者にいだくおそれは拭(ぬぐ)いきれず、死体の腹を割いてまでして埋め直しの儀式をしたり(二度やる葬送は 複葬と称され、けっこう各地にふつうにあった習俗)、わざわざ「死体の人形」(土偶/どぐう)をこしらえてさらに慰撫(いぶ)の儀式を重ねたり、そんなこんな…
●土偶の目がすべからくでかいのは、目=生命力ゆえに再生の念をこめて形作られているゆえ。
白川静・梅原猛対談「呪の思想」
p.171
梅原「「目」というのは重要ですね。遮光器土偶(しゃこうきどぐう)というのがありますが、こんな大きな目をしているのに中は堅くつぶれている。やはり死んだ人間なんです。ではどうして大きな眼窩(がんか)をしているのか。これは『ユーカラ』を読んでて解ったんですが、目のある死人と目のない死人が出てまして、目のある方は再生可能な死人を意味する。だから再生可能を示すために大変大きな目を付けた。目は再生のシンボルなんですよ。
土偶は縄文時代、はにわは弥生時代ね。
縄文と弥生は文化的にかなり大きな隔たりがある。
縄文時代に影響を与えたのは中国古代の殷(いん)の文化。
弥生時代に通じるのは、殷のあとの周の文化。
「殷の神秘世界 周の合理主義的社会」と、縄文・弥生の違いに通じる対照的とも言えるほどの特徴差がたくさん。
●縄文の三内丸山(さんないまるやま)遺跡では、死体を道の脇に埋めていた。集団が外部とつながる大事な道に沿って。
それが、4000年前くらいになると、より小さな組み単位で「家族」であるかのように埋葬するようになる。
弥生になると、今度は中央集権的な集団様式の墓になってくる。でかい墳墓の周りに庶民の死体が配されるというような。
〜対談「森と縄文人」山田昌久/小山修三
境界を鎮める死体の山
縄文時代の宗教、葬送、ファッション、漁撈(ぎょろう)、音楽芸能、アイヌ文化との関連、などなどについて、種々の分野の方々が公演や討論を重ねたその記録。
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