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2005.04.08

言葉のハルキゲニア!

 言語学者は社会学者や文化人類学者と連携できているか?
 目標は言語であっても、相手にすべきは言語じゃない、人間とその集団。

消滅する言語

「消滅する言語 人類の知的遺産をいかに守るか」
 デイヴィッド・クリスタル著
 中公新書 中央公論新社 2004/11

原書2000年:Language Death  デジタル版

 訳者が特定の意図をもって訳し、しかもあとがきでその本の主旨を操作するという…なんだかな 残念!なていたらくになってしまっている良書。(これじゃ良書かどうかよくわかんないぞ)

 この本自体は、使えるデータや要旨が濃くコンパクトに収録されていて入門&概観には良いおすすめの書籍。

●今は大変な大絶滅時代!
 これまで人類が生み出してきた多様なかけがえのない種々の言語、それが今、概算でも2週間に1言語のペースでこの世から永遠にワイプアウト、抹殺されていっている。
 人類史上前例のない、大規模な言語絶滅時代を我々は迎えているのだ。
 この絶滅時代を迎えていながら、保護されるどころか記録さえろくにされずに失われるにまかされたままになっている希少言語たち。
 まったくもっておぼつかない状態である言語の記録研究体制。
 自文化の言語を「遅れた劣悪な言語」とみなして見向きもしない当事者たち。

●いらない言語だから廃れるのでは?
 言語の種類が減るとやばいことが起きるぞ。
 みなが同じ言語を使うようになれば文化が滅びやすくなる。
 言語の数の減少は、自然の生態系崩壊に近いものがある。
 みなが同じ言語を使うようになっても世の中は平和にはなりはしない、戦争や内紛は同じ言語の民族どうしでしょっちゅう起きている。

p.40
 騒ぐほどの問題ではないという人が多い。言語の数が減ることは、人類にとっての利益であって悲劇ではないという、広く支持されている −− だが、誤った −− 信仰がある。

 いや、そも。
 著者が言語学者である時点で、彼の立場は必然的にほぼ決まっていると思われ。
 言語多様性を保持するにはどうすればよいかと画策をする=言語を研究する言語学者として。
 どうすればよいか。
 いろいろ挙げている。
 民族の自意識や経済ステータスを高めて言語保護に向かわせろ、観光資源として使えるぞ、二言語併用性にすれば民族結束と対外の一石二鳥でいいぞ、うんぬんかんぬん。
 あがる豊富な数字や実例、調査結果、方策は参考になるし勉強になる。
 が、残念ながら現実の深くてややこしい泥沼の世界までは記しきれていない。ゆえに入門者にはオススメ

 著者は、言語保護に意義をつけくわえるさまざまな試みを列挙している。
 さまざまなアナロジーで言語は保護したほうがいいと説く。
 それでも、この本を読んでも、結局はそこらのビジネスマンには言語消滅の意味がピンとは来ないらしい。
 唯一、琴線(きんせん)に触れるとすれば「異言語を観光資源にできるぞ」というくだりだろうか。
 それでも、言語を観光資源に、という提示は無理目で弱い。
 みなが同じ言語を使えば損をするぞ、文化や言語は多様性が大きいほど経済効果が大きいはずだ、と説く。
説得力はあるだろうか。
 どうやって人心を言語保護に向かわせるか。

 物事の意味を操作して人間を動かす。
 意味操作とはすなわち人心の操作。
 今、もっとも強力に流通している人心操作の記号は 言語じゃない、

   金<だ。

 観光、経済、ひいては経済ステータス…… 言語保護も、結局は金視点で説得するしかないんだろうか。

クール

 訳者のあとがきはかなり問題がある。
 ”この本の著者は西洋的に偏った視点を前に出しているがその欠点を抜けば良い本だ”と断言するあとがき。 スチュワードシップ みたいな。
 違うだろ。もはやこれは「西洋からの視点」の問題ではない。「メジャー言語」に安住している側の視点だと見るべきだ。経済的に優位にふんぞり返っている大国側の姿勢。でないと日本語に訳して日本で出版する意味が半減してしまう。
 琉球語やアイヌ語はどうなっているのか。他国に日本語を無理強いした過去は。
 訳者は西洋的な毒を抜いて日本に紹介したかったと記しているが、その紹介の仕方がかえって日本的に自己中毒を招きかねなくなってないか。
 以前、中村*子氏が訳を監修した書籍が、ジェンダーに関する政治的な記述部分だけ改竄されていたという一件があった。
 あとがきの態度というか、論調を見てしまうと、この本も訳者がどこか内容を改竄してたりしないだろうかといぶかりざるをえない。んなこたないとは思いたいが。

クール

 それにしても。
 観光資源にできるぞ、希少な言語だぞ。
 大変な言語大絶滅時代を今迎えているぞ。

 それなら。

 いっそカンブリア紀ごっこにしてしまうというのはどうだろうか。
 言語の アノマロカリスハルキゲニアが死に絶えてしまうぞ!
 重要な属や門が、言語進化上の系統樹のでかい枝が、絶滅してしまうぞ!
 現代は言語のカンブリア絶滅だ!

 これってけっこう一部の人間にキャッチーかも。
 すんごく奇想天外に多様だった言語の多様性が、「いまそこらにいる生物は新人類ばっかじゃん〜」みたいなひどく貧相な言語世界に痩せ細ろうとしてまっせ。

 言語は、いわば人間の頭の中に棲む生き物。
 人間の頭の中で許される限りに優美に複雑に深淵化して発達してきたもの。
 未開だの高度経済だのに関わりなく、どの言語も、優劣つけがたい独自の芸術性をたたえている。

p.77
「北米の言語は、すべて息をのむほど美しく繊細な構造をもっている。話者の子孫たちはその美を発見することによって自分たちの生活を豊かなものにする。それはちょうど音楽や文学や芸術に触れて生活を豊かにするのと同じである。」(北アメリカ先住民言語の専門家であるマリアン・ミスン)
 人類学や言語学の文献にはこのような考え方が頻繁に現れるにもかかわらず、恐ろしいことに、本来は教養があるはずの人たちが、原住民の言語は未発達で、たった数百の語しかないとか、抽象的な語はまったくないとか、あるいは言語があまりにも単純なために必要なことを表現するのに身振りに頼っている民族があるというようなことを本気で考えていたりする。不幸にもこのような考え方は、西洋ではあまりにも定着してしまっており、危機に瀕した言語に対する援助を引き出そうとする場合に重大な障害となっている。

 これまでは、脳内言語の、脳の機能を総動員して発達する繊細な生き物の、カンブリア爆発だった。
 今後は、脳の中に棲む言語の多様性はどんどん減っていく。
 いまだにちょっと調べただけで「こんな言語もありえたのか!」とビックリする例があとをたたない状態なのに、わずかに姿をかいま見せただけで(ほんの少し研究者が記録を残せただけで)地上から永久に姿を消す希少言語たちは数え切れない。
 とんでもない文法を持った言語。とんでもない概念に縛られた言語。とんでもない世界観から成り立っている言語……

 英語と中国語は、使う脳の部位が異なる。

中国語は英語よりたくさん脳力を使うんです
 英語は脳の半球だけ、マンダリン(中国語)は左右両半球が必要
2003/06  BBC News Chinese 'takes more brainpower'
2003/06  Guardian  Brain buzz that proves Chinese is harder to learn than English

 →2004/09 『漢字圏のディスレクシア』

 じゃあ、もっと違う脳の使い方をしている言語もあるんじゃないか。
 脳が言語をどこでどう処理しているかの研究はいまのところ「メジャーな言語」でのものばかり。
 希少言語が失われれば、脳-言語の組み合わせのバリエーションも、人類の科学から探り出されぬまま永遠に葬り去られることもありえる。
 企業マンや商売人間にわかるような表現にするなら、今後、脳研究で開発されうる消費者操作術に貢献するであろう貴重なデータを道連れにしたまま、希少言語が絶滅していく。

 そんな意味操作。

 「言語の種類が減ったぶん、どんどん新しい言語を作り出せば面白くていいじゃないか」と言ってみたりする人もいる。
 たぶんそれは、この本を読んでも結局「言語消滅で何を失うのか」が見えなかったからなんだと思う。
 アノマロカリスやハルキゲニアが絶滅したあとにいくら「英語の変種」や「中国語の変種」が増えてくれても、そこからは失われた系統樹は伸びては来れない。「とんでもない文法を持った言語。とんでもない概念に縛られた言語。とんでもない世界観から成り立っている言語」はもう生まれないだろう。
進化したハルキゲニアにはもうお目にはかかれない。
 閉ざされること。人間の可能性が。思考のフィールドが。

 企業マンは「金という共通言語/リンガフランカ/」の中で生きることをヨシとしている人間だからこそ、企業マンなのかな。
 他言語や異質な価値世界のことはたいして感じない、「衰退=不要品」としか感じない… そういう世界観の人間だからこそ、価値観を一つだけにすることをヨシとするからこそ、企業マンとして成り立っていたりするんだろうか。

 金にならないものは不要品ですか。
 夢だけでは食ってはいけませんか。

ジェム

 ひるがえると。
 この本の著者は言語保護の方策として6つを試しに挙げているが。
  ・危機言語は、優位な共同体社会内で話者の地位が向上すれば発展する
  ・危機言語は、優位な共同体との比較において話者が富裕になれば発展する
  ・危機言語は、優位な共同体から見て話者が法的に力を増せば発展する
  ・危機言語は、話者が教育制度の中で強い存在感をもてば発展する
  ・危機言語は、話者が自分たちの言語を書き記すことができれば発展する
  ・危機言語は、話者が電子技術を利用できれば発展する(たぶん)

 どうやって向上するか、どうやって強くなるか、その時点ですでに外部の強者側の価値観での「向上」や「強さ」と混同されてしまうような、なにやら植民地主義的な匂い。
 難しい。
 西洋的になって、その路線で強くなって、異言語を守るのか。
 もひとつ。
 言語の観光資源化が可能であるとして、それは悪しき 「創られた伝統」路線に陥ってしまわないか。バリ島の芸能文化は、伝統的意味を失ってヨソサマ向けに観光化し、関係ない部族まで猫も杓子も「伝統といえばガムランだぁケチャチャケチャ」してしまってる、そんな。

「変貌する社会:文化人類学からのアプローチ」 ミネルヴァ書房 1997 
第5章 吉田竹也「バリ島の伝統・観光・バリ研究---楽園の系譜学」
p.104
バリ観光の売り物は,マリン・リゾートもさることながら,この島が育んできた伝統文化や芸能・芸術である。演劇,舞踊,音楽,絵画,貴金属細工,あちこちで催される華やかな儀礼・祭礼,これらエキゾチックな宗教伝統文化は,観光産業の根幹となるものである。こうした伝統文化が存在するからこそ,バリの観光化と経済発展が可能となるのであり,逆に伝統的なものが失われれば観光地としての魅力も半減し,したがって近代化も進行しないだろうという,一種パラドクスめいた連関がある。さらにバリでは,観光開発が伝統的な社会組織や文化パタンを西洋的なものに転換してしまうのではなく,逆に伝統的なパタンをより強化する方向に向かわせてさえいる。マッキーンは,こうしたバリの近代化の過程に出現する伝統文化の強化を,「文化のインヴォリューション」と呼んでいる。

 このあたりの泥沼は、コンパクトな本でもあるし、掘り下げはされていない。
 そこが翻訳者があとがきに記した不満点の一つであり、逆に入門向けになっている手軽さでもある。

 言語研究者。
 言語学者の道を選んだ時点で、それらの人々は企業マンや社会学者とは性向も視野も道も、違っているんだろうな。
 言語は人間・社会・文化・経済と密接に関わりながら生まれもし、死にもする。
 総合的な、人間活動の産物として、人間の頭の中におわすのが、言語。

 言語学者は社会学者や文化人類学者と連携できているか?
 目標は言語であっても、相手にすべきは言語じゃない、人間とその集団なのだから。

ジェム

 この本の著者、頻繁に山本昭(カンザス大学?)氏の研究を引いているのだが、ウェブ上ではあまり「さらなる」に良さげなページが見つからないのでちょっと欲求不満。
 似た欲求不満は 世界言語文化図鑑 のときにもひとしきり。
 世の中にあってウェブ上にないものは多すぎる。


へぇボタン:へぇ〜 と押してみるもよし

●情報庫: 言語

メタル



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