世にも恐ろしい葦の物語:疫病恐怖
古代の世界、悪霊や災厄が寄りつきやすい場所というのは”お定まり”に決まっていることが多かった。
縄文の世界観では、悪霊もしくは災厄は、開口部(襟/えり/や袖/そで/、器物の入口まで含む)から侵入するとみなされていた。
『縄文人の世界』
白川静・梅原猛 対談「呪の思想」
p.33
梅原「縄文のあの文様はどこから来たかというとね、悪霊がいっぱいいて、その悪霊は衿の所や袖の所から入りやすいから、衿の所や袖口に派手な文様を描くんですよ。」
ゆえに襟袖や土器の縁には複雑な呪力をこめた模様が描かれる。
襟袖にふんだんに文様が施されるアイヌの衣装。
土偶や土器も災厄や疫病を防ぐための呪紋に守られる。
たたりをおこさないよう、死体は死に装束(しょうぞく)の襟や袖を縫い閉じられていた。

悪霊は開口部からのみ侵入するとは限らない。
こういう例もある。↓
「図解雑学 こんなに面白い民俗学」 ナツメ社
p.50
親指を隠す理由について「親が早死にするから」などと、もっぱら親の不幸を心配しているが、もとは親のためを思ってそうしたのではない。自らの身体に死霊やケガレの影響が及ぶのを断つためだった。現在では希薄になった感覚だが、かつては目に見えない邪悪なものが、親指の先から侵入して災いをもたらすと信じられていた。「疫病をよけるには、両手の親指を握り隠すとよい」とか「親指を握って夜道を歩くと狐に化かされない」などという伝承もある。
すごい。
指先、それも「親指」が開口部だったんだ。
どんな世界観だったんだろう。「親指」は何とつながっていたんだろう。
「親指」と穢(え)の関連が顕著だった時代は、もしかしたらすでに昔の「襟・袖」という開口部の怖さが薄れてしまっていたのかもしれない。「襟・袖」の代替としての、不安を表象化して慰撫(いぶ)するために用いられたかもしれない「親指」。
…なぜ「親指」だったんだろう?

こんな話もある。
山本ひろ子著『異神:中世日本の秘教的世界』
p.127
黒谷流の大黒天供に付された深秘の口伝によれば、行者の「指の血」を供物として献ずるのが最極の秘事であった(次章付論)。奇怪なことに、行者は左手の水指から「無明の血水」を滴らせ、本尊の御口に塗ったのである。「最極頓成の秘供物」とされた血水を献ずることで法の成就が速やかにかなうと信じられたのだろうが、それはもちろん、大黒天が人の血肉を喰らう奪精鬼であるからにほかなるまい。
うわーん、この「左手の水指」ってどの指!?
本には言及無いし、また検索しても何もヒットしない。
世の中にあってウェブにはないものは多すぎる…!
これ親指だったら面白いと思うんだが…

さらには。
いにしえの病は、襟袖や親指どころではない恐ろしい観念的広がりを見せてくれる。
恐ろしい疫病をもたらすたたり神たちは、人間に八万個もある「毛穴」から、身体の中に侵入してくるのだと。
特定の季節に、とある儀式を行うと、疫病が去って無病息災(むびょうそくさい)を維持できる、そういう信仰・習俗は今でも日本各地に残っている。
その中でも、
『異神』がひもといた「御葦流しの神事」は、かなりリアルな恐怖をたたえて鬼気迫るものを見せてくれる。
梅雨の季節、多雨多湿に伴って河原の葦(ヨシ)がぐいぐいと背を伸ばす季節は、ちょうど疫病が蔓延(まんえん)しやすい季節でもあった。
葦が伸びると死病もヒトの近くにやってくる。
葦は災厄(さいやく)を伴って、毎年この世に現れてくるのではないか。
ひいては、「葦の数だけ疫病の神もやってくる」という、汲めども尽きない恐怖がそこに立ち現れる。
その数は「八万四千六百五十余」とも「九億」とも言われる恐ろしい厖大さ。
どうすればよいのか、年毎に訪れる災厄の大軍団…。
いにしえの人々は、それら神々が寄りつく「葦」を川に流すことによって、荒ぶる疫病の神々に下流に去ってもらう、そういう神事を執り行なった。(この神事は今でも続いている:雛祭りやしょうろう流しも近しいものがある)
そこで流される葦には、寄りつく先を求める恐るべき神々がお乗りになっている。
『異神』 p.612-613
神の奉斎者すら怯えさせた御葦の塊。その戦慄を「身の毛穴がよだつ」と表現しているのに注意しよう。これはただの形容ではない。
束ねた御葦の数は「属神」の数で、しかもそれは人間の体の毛穴の数だけあると信じられた点に恐怖のリアリティーがある。
ものすごい数の疫病神。
神と呼んだら現代ではちょっと感覚が違うかもしれない。
ものすごい数の疫病をもたらす【たたり神】たち。これだな。
これが。
八万箇所から人間に入ってくる。
人間の毛穴から、入ってくる!
『異神』 p.612
昔、商家七氏の鈴木氏(または光賀氏〕某の屋敷は天王川の東岸にあった。御葦の着岸を厭い、川中に葦簾/よしず/を張りめぐらして、御葦が入らぬよう遮断した(まったく不敬の極みである)。はたと風が落ちたとみるや、御葦の束は散乱して、一茎ごとに葦簾の間から侵入してきた。その「神怪・霊異」の様は言語に絶する。まもなくその家は滅亡した(重綱の談)。
葦に乗せて流し送却したはずのたたり神が、いつのまにか一茎ごとに屋敷目指して隙間から侵入してくる!
これは恐い。
今で言えば、疫病にまみれた怪物が、人間に血膿を塗りたくろうとそこらじゅうからにじり寄ってくるような。
どう?
欧州中世の黒死病を思い出す。
近いうちにカンター著 『黒死病』 にも目を通すつもり。

時代によって、文化によって、恐ろしいものとそれを防ぐ方法は移ろい変わる。
でも。
過去を無知蒙昧とあなどる事なかれ。
当時と今、人間の「感情機能:恐怖や安心、好悪、欲望」はたいして変わってはいないのだから。
これをすれば健康であれるはず。
こうしておけば幸せになれるはず。
その「ハズ」は昔の世界の人々が思い描いたのと同じくらい、マトハズレなものであったりしうること。
そう。 わかる人はわかっておこう。
へぇボタン:へぇ〜
と押してみるもよし




「縄文人の世界 日本人の原像を求めて」 梅原猛編; 角川学芸出版 / 角川書店 2004/03
「呪の思想 神と人との間」 白川静・梅原猛対談 平凡社 2002/09
(旧版1998年 『異神:中世日本の秘教的世界』)
「異神 上」 山本ひろ子著; 筑摩書房 文庫 2003/06
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コメント
山本ひろ子氏の『異神』127頁の「水指」は指のことではなく、「みずさし」と読んで、水などの液体を注ぐための器具のことをいいます。中世の当て字です。指のことだったらおもしろかったんですけどね・・・・。
投稿: 田中貴子 | 2006.02.12 20:53
ああっ!
ご示唆大変ありがとうございます。m(__)m
…ということは、
・指の血を「みずさし」に溜めたのか
・「みずさし」に入れた血を「指の血」と称したのか
さらに混乱する私でございました。
百鬼夜行絵巻の火の玉が尊勝陀羅尼の火炎であるというお話は、実にあざやかな心象絵として脳裏に刻まれています。
『日本文学』の「怪異をひらく 近代の時空へ」はかねてより読みたいと思いつつまだ入手できておりません。田舎なので街まではなかなか…
投稿: 雨崎良未 | 2006.02.12 21:15